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 タクシーの中で、私は流れる夜景をぼんやりと眺めていた。
 ほどよく回ったアルコール。八分目を通り越したお腹。
 今日はうちの取引先の中でも、もっとも大手の取引先の接待があった。先日、いきなり部長からセッティングしてくれと頼まれて、あれこれ調整したけど、今日になってしまったのだ。
 接待とは言え、実のところはそれなりにお互い気を使いあっている取引先だから、一方的にこっちが疲れたというわけではないのだけれど、やっぱりそれでも、普通の飲み会とは違う。
 
 おまけに今日はバレンタインデー。
 何が悲しくて、新婚のダンナを放っておいて、接待の席に座ってなきゃなんないのかと思えば、そりゃ楽しめと言うほうが無理な話なわけで。
 
 ――。
 「咲野さんはご結婚されたんですよね」
 えぇ、確か祝電いただきましたけど?
 「いやぁ、咲野さんみたいな方のご主人になる方は、どんな方なんでしょうねぇ」
 部下です。
 ……心の中で突っ込みを入れつつ、愛想笑いを浮かべる。
 「同じ会社の方と伺いましたが……?」
 私の反応が鈍いと見て、矛先は部長に向かう。課長がコホン、と咳をした。
 
 「えぇ、彼も優秀な人材ですよ」
 ま、この場ではそのくらいしか言いようはないだろう。でも部長の目が笑ってないし。陸海が優秀でないとは言えないと思うけれど、まぁまだ入社三年……三年、三年かぁ。
 今更、だけど。
 
 想像していたこととは言え、陸海との結婚を決めた後は、そりゃ色々と大変だった。もちろん、不都合があったわけでもないし、誰かに反対されたわけでもない。でも、二人の立場や年齢を考えれば、そりゃ、周りは騒ぐ、騒ぐ。
 私が陸海を脅しただの(あながち、間違いとはいえないかも知れないけれど)、いや逆に陸海が私を強請(ゆす)ってるだの、もちろん「出来ちゃった結婚」説なんていうのは、一番に飛び出してきた。
 過去に社内結婚はないわけではなかったけれど、同じ部署と言うのは初めてらしく、それも上司の心を痛めたことは否定しない。
 でも、なんとか無事に結婚までこぎつけたっていうのに。
 ――やっぱりこういう席では、話題にされちゃうんだよね。
 
 とりあえず、半分くらいは上の空のまま、食事の席は終わり、私はようやく解放されて今タクシーに乗り込んだ、とそういうわけ。
 陸海、待ってるだろうなあ。ぼんやりと窓の外を眺める。鞄の中には、チョコレート。本当は早めに買って、今日の朝にでも渡したかったんだけど、バタバタしてるうちに今日になってしまって、昼休憩に慌てて近くのデパートに走った。
 そっと鞄の上から撫でる。遅くなってごめん、と心の中で呟いた。
 

 タクシーを降りる。家の灯りが少し暗い感じで、ちょっとドキッとした。暗い家に帰るのは久しぶりな気がして。
 陸海どうしちゃったんだろう、と思いながら、扉を開けた。靴があるから、いるのは間違いないみたいだ。
 「ただいま」
 そっと声を出す。返事はなかった。
 リビングに入ると、灯りは落とされていて、卓上のランプと、テレビだけが光っていた。ちょっと古めの外国映画が、無音で流れている。
 
 そして陸海はソファの上で眠っていた。
 おそらく、映画を見ながら待っていて、つい眠ってしまったのだと思う。こういう陸海を見るのは初めての気がして、思わずしげしげと眺めてしまった。
 起こさないように、そっと上着を脱ぎ、そばへと寄った。
 かなり近くまで寄っても、微動だにせずに、すやすやと眠っていた。まつげの影が、淡い光に浮かんで、いつもよりもきれいな顔に見える。まつげだけじゃなく、全体の陰影も濃く見えて、その顔をいつまでも眺めていたいと思った。
 
 とは言え、いつまでもそのままと言うわけにも行かないので、十分に堪能した後、陸海を起こすことにした。
 陸海の前に腰を下ろす。そっと頬に手を当てて、唇を重ねた。
 「陸海? ただいま」
 「っ……え? あ、お帰りなさい」
 一瞬目の前の私の顔に驚いて、でもそれは嬉しそうに笑って、陸海が目を覚ました。
 「ごめん、寝ちゃってたみたい」
 「そうね。疲れてる?」
 「そういうわけでもないと思うけど」
 
 陸海の首に手を伸ばす。陸海は分かってる風に、私を抱え上げて、膝の上に乗せた。
 「楽しかった?」
 「楽しいわけ、ないじゃない」
 口を尖らせて答えると、陸海はおかしくて仕方ないみたいに笑う。
 「そうなの?」
 「そうよ。せっかくのバレンタインなのに。私は陸海と一緒に過ごしたかったの!」
 自分で言いながら、思い出して腹を立ててしまう。
 
 「まぁまぁ。バレンタインって言っても、何するわけでもないんだし」
 「でも」
 そりゃ、クリスマスみたいな「イベント」があるわけじゃないけど。
 「あ、そうだ、で、これ、チョコ」
 テーブルの上においていたそれを取って、陸海に渡す。
 「ありがとう……って、え?」
 一旦渡してから、私が取り返したから、陸海が驚いている。でも。
 「食べさせてあげる」
 「え、いいよ」
 「いいのっ!」
 我ながら、子供っぽいことをしてるな、とは思った。でも、買ったときにふと、思いついてしまったら、絶対実行したくなってしまったのだ。
 
 包装紙を破き、ふたを開けて、中のチョコを一つ。薄い銀紙に包まれたそれを、ぺりぺりと剥いてから、私の口に咥える。
 「んん」
 そう、口移ししようと、そう言うわけ。
 「え、えっと」
 一瞬ためらいながらも、素直に口を寄せる陸海。ちょっと恥ずかしそうなのが、また、そそるのよねぇ。
 そして、陸海の唇が、私に触れた瞬間、私はチョコレートを噛み砕いた。
 
 「んんんっ!?」
 陸海が思わず声を出そうとして、でも出せなくて、一瞬もがいた。
 二人の、繋がっているとも、いないとも言えない微妙な唇の空間に、液体が溢れる。
 私の方がどちらかと言えば顔は上だったので、その液体は、陸海の唇から溢れて、つーっと頬へと伝った。
 指先でそれを拭う。
 「ちょっと、志織さんっ!」
 状況を把握した陸海が、抗議の声をあげた。
 「なぁに?」
 「こぼれるでしょっ」
 「うん」
 「それ」が計画的犯行だったことに気づいて、陸海は絶句している。私はそれを無視して、陸海の頬をぺろりと舐めた。
 
 くすぐったそうに、陸海が避ける。追いかけて、まるで子犬がするみたいに陸海の首筋を舐めた。
 「んぁっ、志織さんっ」
 悩ましげな声を上げて抗議する。私は陸海の首のボタンに手を掛けた。
 外していく順に、唇を這わせる。チョコレートと、洋酒、そして陸海のにおいが私を酔わせる。
 「志織さん、ハツジョーしてるの?」
 「うん、してる」
 
 いつからか、陸海はそういう言い方をするようになった。酔って「やりたくなっちゃった」状態の私のこと。
 「やりたくなっちゃった」と言うよりは、陸海の言う「ハツジョー」の方が、少し趣があるかなと思って、それ以来、なんとなく共通語になってしまっている。
 「陸海に、ハツジョーしてる」
 そういうと、陸海は諦めたように抵抗をやめた。
 
 もう一つ、チョコレートに手を伸ばす。今度はこぼさないように、陸海がガブリと噛み付いてきて、それに笑った。一つのチョコを二人で分け合うみたいに舌を絡める。
 私の指先は、陸海のシャツの間からすでに胸に進入して、陸海の感じる場所を探っていた。先端を指でこすると、かすかに小さく吐息を漏らす。それがたまらなく好きで、なんども、何度も刺激を与えた。
 お尻の下に、陸海の昂ぶりを感じる。陸海が少し恥ずかしそうに、腰を動かした。そんな陸海の顔を見下ろして、胸の先を爪で強くはさむ。痛くない、限界まで。その瞬間、陸海の腰が跳ねた。
 
 少し潤んだ陸海の目が、恨めしそうに私の顔を見上げている。
 腰に回された陸海の手が、私のウエストの辺りを這う。それはまるで許可を与えるみたいに、陸海に微笑んで見せて、わずかに陸海にもたれ掛かった。
 
 膝の上で、いくらか横抱きみたいになって、陸海の指がボタンを外す。私は陸海の首筋に唇を埋めて、陸海の首筋を味わう。
 「ベッド行く?」
 「ここがいい」
  そう言った私に陸海はくすっと笑う。
 「何?」
 「志織さんだなぁ、と思って」
 ……それは誉めてるのかな。違うんだろうけど、まぁいいや。
 「いや?」
 「大好き」
 あまりにもストレートで、思わず照れてしまう。
 それを隠すみたいに、意地悪に微笑んで、陸海の股間に手を伸ばした。
 
 背もたれに押し付けるみたいにして、取り出したそれは、わずかに湿り気を帯びて張り詰めている。陸海の顔を見上げると、恥ずかしそうに目をそらした。
 手のひらで包み込むようにして、上下に刺激する。
 「んっ」
 陸海の手が我慢できないみたいに私の手を押さえる。そのまま、陸海が今度は私を抱きしめるみたいに、唇を這わせてきた。
 もう片方の手は、私のスカートの中に入ってきて、下着の上から、ゆっくりとこすられる。
 「っはぁん」
 たまらなく色っぽい声が出てしまって、それを無理して押さえると、もっと強く刺激される。
 「やだ、陸海、……っう、あん」
 こらえきれずに声が高ぶっていく。
 下着の上からのもどかしさに耐えられない。
 「お願い、脱がせて?」
 そういうと、陸海は焦らすみたいにゆっくりと、私の下着とストッキングを取り去った。
 
 「志織さんが、上に乗って」
 陸海が言った。私が動きやすいように、少し腰に手を添えてくれる。
 「もう、欲しいの?」
 私のなけなしの抵抗の言葉。でも、陸海はどう取ったのか、腰を下ろさせてはくれなかった。
 中腰に、ソファの上で膝立ちして、そのままの格好で陸海の指が私を掻き分ける。
 「やぁっ」
 くちゅくちゅとした粘液の音と共に、背筋を駆け上がるような快感が走って、思わず体を仰け反らせた。陸海の腕が、私の腰を抱く。私を見上げる目が、オトコのそれに変わる。
 「志織さんは? どうして欲しい?」
 陸海の指と、男性自身が、入り口の辺りをゆっくりと往復した。あと少しの快感を求めて、私の腰が意識せずに動いてしまう。
 
 「ねぇっ、もうっ」
 「入れさせて欲しい?」
 「お願い……!」
 少し意地悪な言い方だったけど、もうそんなことには構っていられなかった。
 陸海の手が、私の腰を引き寄せる。押しのけるように入ってくる感覚に、悲鳴を上げた。
 「あぁっ」
 存在感が、私を突き抜けていく。
 「志織さんが、動いて?」
 言われるまでもなく、本能的に腰をくねらせ、上下させていた。ただ、むさぼるように快感を求める。
 「っはっ、あ、も、もうっ、」
 限界に近いことを陸海に告げる。陸海が腰を突き上げる。私はただ揺さぶられるのに体を任せた。なんどか、陸海の切なそうな吐息を聞いて、私はそのまま絶頂を迎えた。
 

 「あーあ、汚しちゃって」
 陸海がちょっと意地悪に笑いながら、自分の襟元をつまんで、私に見せる。
 一応気をつけたつもりだったけど、そこにはしっかりと、まるで子供のよだれかけのように茶色いしみが広がっていた。
 私は黙って首をすくめた。
 陸海の膝の上から抜け出して、自分の着衣を見下ろす。
 私の方は、汚れこそないものの、大分皺が出来ている。接待ってことで、一応それなりのスーツだった。上着こそ脱いでいたけれど。
 
 「まさかこんなことになるとは思ってなかったけど、用意しておいて良かったな」
 陸海が呟いた。
 「え? 何?」
 「お風呂。入ってるよ」
 「そうなの? ありがと」
 「お先にどうぞ?」
 「え、陸海は?」
 「ちゃんと行くから」
 「あ、うん」
 なんだか隠し事の顔。まぁいいや。
 
 一旦ブラウスやスカートは脱いで、脱衣所へと向かう。キッチンで陸海がごそごそしてるのが分かった。
 「お先」
 声をかけた。
 「うん」
 背中越しの返事。スリップ姿の私には、目もくれない。うーん。いいような、悪いような。
 
 そして、私がぽちゃんとバスタブに浸かった時。
 「失礼〜♪」
 陸海がバスルームを開けた。
 「うわっ、何ソレっ!」
 あはは、と笑った私に、少し恥ずかしそうに
 「ダメ、かな」
 と陸海が言った。
 
 「いいけど」
 びっくりと言うか、……笑ったらいけないんだろうけど、かわいいし、かっこいいし、恥ずかしいし……
 陸海はさっきのシャツは脱いで、Tシャツ姿だったんだけど、それにギャルソンエプロンをして、トレーにシャンパンを載せて入って来ていた。
 「いかがですか? マダム」
 板についていないところが、可笑しくて、かわいくて仕方ない。
 「お願い」
 そう言うと、それでもするするっと栓を開けて、グラスに注ぐ。グラスはちゃんと二つあったから、バスタブ越しに乾杯をした。
 
 「明日仕事だから、そんなに飲めないけど、俺からも何かしたいなー、って思ったんだ」
 「うん、いいよ。すごく。ありがと」
 すごくびっくりしたし、嬉しかったのは本当だから。
 私が、チョコレートで汚してやろうとか考えてたときに、陸海はシャンパンを考えてたんだと思ったら、少し反省したい気分になる。
 でも、そんな矢先に、このままバスタブに引っ張り込みたいとか考えちゃうんだから、陸海も報われないよなー、と改めて他人事のように、陸海の受難に同情した私だった。
 
 ――――― Fin.

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