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 2.
 その後もダラダラとおしゃべりをしながら、一次会は終わった。
 店の外へ出る。
 「チーフはもう、上がる?」
 「うん、帰るわ」
 陸海の姿を目で探す。おそらく二次会に誘われているのだろう、何人かの女の子に囲まれている姿が目に留まった。
 どうしよう。少し逡巡する。
 
 そんな私に気づいたのか、北川が陸海を呼んだ。
 「黒崎っ!」
 陸海がこっちに目を向けた。少しうれしそうなほっとしたような顔に見えた気がしたのは、私の思い込みだろうか。
 「はい」
 陸海がこっちにやってくる。ネオンの向こうに、満月。きれいに晴れ渡った空。
 少し小走りに来てくれたのが、やっぱりちょっと嬉しい。
 
 「チーフが話があるらしいぞ」
 「え?」
 怪訝そうな顔。と、その瞬間、北川の手が、私の肩にまわされた。
 
 「……なんだろうなー? いい話だと、いいなー」
 北川の手の行き場を見て、陸海は、明らかに一瞬、不愉快気に眉を寄せたけれど、それ以上は何も表情には出さなかった。
 「なんですか?」
 陸海が私の顔を見て、そう言った。
 
 そんなこと、言われても……
 北川が勝手にそんなことを言っているだけで、実際何か話があるわけじゃないし。思わず困惑する。
 そんな私の心を知ってか知らずか、北川が
 「ということで、チーフ送って行ってくれ」
 と言った。
 「そりゃ、もちろん構いませんけど」
 陸海は私を少し覗き込むように、目で「いいですか?」と聞いた。
 もちろん、否応のあるわけがない。
 
 二人、肩を並べて歩き出す。
 「じゃ、また」
 北川はそう言って軽く手を上げて、みんなの方へと向かっていった。
 
 とりあえず、みんなが見えなくなるまでは、普通に距離を保って歩いた。でも、角を二つ曲がって、すっかり見えなくなったら。
 陸海の腕にちょっとすがる。
 「楽しかった?」
 「……ぼちぼちですね。志織さんは?」
 「あはは……みんなが楽しそうに見えてうらやましかったよ」
 「そうですか?」
 陸海はちょっとだけ、口をつぐんだ。
 
 「さっきの北川さんは……」
 「え?」
 「いや、なんでもないです」
 何? と思ったけど、それは口には出さない。
 って、そういえば、北川にばれちゃってるの、言っといた方がいいかな。
 「そういえば、今日、北川に口説かれちゃったよ」
 「え?」
 「なんか陸海のことも気づいてるみたいでさ……」
 そこまで言ったときだった。
 
 どん、と衝撃。
 「きゃっ、いたっ」
 一瞬何が起こったのか分からなかった。目の前が真っ暗になる、と思ったらそれは陸海だった。
 「なに……」
 「話って、北川さんと付き合うから、俺と別れようとか、そういうことですか。……俺は絶対、イヤですからね」
 建物の脇に、電信柱。隙間に押し込められるように、陸海に体を押さえつけられる。
 ちょ、ちょっと待って……右腕が看板か何かにぶつかったのだと思う、とても痛くてジンジンしてきた。
 陸海の顔がかぶさって、舌をねじ込まれる。普段は抱きしめられてキスされるのに、今は押さえつけられていた。背中にも何か硬い突起が当たって、その痛みがかろうじて私を冷静にさせていた。
 ちょっと……ちょっと、待ってよ!
 心の中で叫ぶ。でもそれは声にはならなかった。もがく。陸海はそんな私に気付かないみたいに、唇を貪っている。
 
 あぁ、もうっ!
 頭の中で、何かが灼(や)き切れた感触がした。
 
 右手は動かせないから、左手。ひじから先を全部使って、陸海のお腹を殴る。びくともしない。でも、ちょっとだけ力が緩んだ気がした。顔を引き剥がす。
 「黒崎っ! 人の話は最後まで聞けって、言ってるでしょうっ!!」
 その瞬間、陸海は明らかに我に返ったように手を離した。
 「あ……」
 「あ、じゃない。人の話は最後まで聞けっ! っていうか、私が誰と付き合うかなんてことまで、よりにもよってあんたが勝手に決めるなっ!」
 陸海がちょっとショックを受けたような、少しだけ気まずそうな視線を向けた。
 
 「そりゃ、そうですけど……」
 「私は今付き合ってる男と、別れる気なんてこれっぽっちもないからね。たとえソイツが私と別れたいと言ったとしても、よ!」
 「……」
 「だから北川にだって、きちんとお断りしたわよ。何か文句ある!?」
 「……」
 陸海は少しだけ呆然としていて、それからゆっくりと目をそらした。
 
 「……帰るわよ」
 
 言っているうちに、段々テンションがあがってしまって、私は陸海を置いて歩き出した。信じてくれてないわけだ。っていうよりも、……
 ふつふつと怒りがわいてくる。陸海にも、自分にも。
 「え?」
 陸海が一瞬ためらった気配がした。
 「帰るって言ってるでしょっ」
 「え、うわっ」
 胸元をネクタイごと掴んだ。そのまま、陸海は引きずられるように付いてくる。でも抵抗はしないから、私もそのまま、引っ張って歩いた。
 タクシー乗り場。陸海を突き飛ばすように後部座席に押し込んで、私も乗り込む。
 運転手さんが、一瞬ぎょっとしたように後部ミラーで私たちを見たのに気づいて、ちょっとだけ、心の中でスミマセンと謝った。
 

 タクシーが部屋の前に着く。お金を払って降りようとしたら、陸海はまだ、動こうとしていない。やっぱり少し、ためらっているのだと思う。
 怒りオーラ、満載だから。今の私。
 
 「降りるわよ」
 タクシーを止めて、お金も払ったんだから、ここで陸海も降りるに決まってるじゃないの、と言おうかと思ったけど、それは口にはしなかった。
 襟元を引っ張る。そのまま、玄関を開けて、中へと入った。
 
 車内でも一言も口を聞かなかった。ただ、私が一方的に怒り狂って、陸海はどうしたものやら分からないらしい。
 陸海は手を離してもそこに立っていた。首に手を伸ばす。私は軽く笑った。
 泣きそうな顔。久しぶりに見たかも知れない。
 ネクタイを抜いた。
 「シャワー」
 バスルームを指差しながら、陸海に言うと、
 「ハイ」
 とだけ、答えた。
 
 陸海の姿が消えたのを確認して、ベッドルームへと向かう。
 ……あれ、どこにやったかな。
 陸海のネクタイを振り回しつつ、頭を巡らせた。ガーゼのタオル。しばらく使ってなかったからなー。
 
 正直、陸海に対しての怒り、というのは、もうそんなには残っていなかった。ただ……手も背中もまだ痛いし、何よりも情けない。昨日今日付き合い始めたわけじゃないんだからさ。そりゃ確かに、長い付き合いとは言えないかも知れないけど。
 
 少しくらいは、痛い目を見てもらわないとね。
 
 お目当てのものを見つけ出して、これ見よがしにベッドの上へとおいた。
 陸海のネクタイと並べて。絶対に、目に入るように。
 陸海はまだ出てくる気配はない。そうだ、あれも……使えるかもしれない。
 リビングへと戻り、クローゼットから出張バッグを取り出す。アイマスクを引っ張り出して、それもベッドの上へと並べた。
 
 「志織さん……」
 陸海が出てきた。それでも服は着ていなくて、タオルだけ巻いてるっていうのは、さすがというべきか、少しはしつけが行き届いてきた、ということなのか。
 「待ってて」
 私はそれだけ言って、バスルームへと向かった。
 
 多分、取り残された陸海は、部屋の中を見るだろう。ベッドの上に並べられたアレを見て、どんな反応をするのか、それを見られないのは残念だけど。
 ま、仕方ないな。
 
 メイクを落として服を脱ぐ。鏡で、右腕のさっきぶつけられたところを見ると、アザと擦り傷になっているのが見えた。血は出てないけれど。
 背中は見た限りでは無事みたいで、やれやれ、と思う。
 この代償は、高くつくわよ。
 

 バスルームを出る。ベッドルームに戻ると、陸海がベッドに腰掛けていた。
 その様子は、いかにもしょんぼりとした様子で、思わず笑いがこぼれる。
 ――黒崎、苛めてもいい?――
 北川の言葉を、ふと思い出した。……明日、やっぱりダメって言っておこう。こんな陸海の姿を見られるのは、私だけでいい。
 
 私の気配に気づいて、顔を上げた。
 「誰がベッドに座っていいって言ったの」
 そういうと、はじかれたように立ち上がろうとした、その瞬間、私は陸海の膝の上に腰をおろした。
 「え、え……えっと」
 陸海がおろおろと、声を上げた。さすがに、私を突き飛ばしてまで立ち上がることは出来ないらしく、困った顔で私を見ている。
 
 私はそんな陸海に気づかない振りをする。
 「ねぇ、陸海、コレ見て」
 右腕の後ろを指差した。
 「さっき、陸海にぶつけられた所よ」
 「スミマセン」
 「結婚前の女の体に、こんな傷付けて、どうするつもり?」
 そう言った瞬間、泣きそうな顔になった。
 「……。」
 
 ピシッと頬を打った。
 もちろん、そんなに強くじゃない。でも、はっきりと、「張られた」と分かるくらいにはしっかりと。
 こんな風に手を上げたことも、もちろん上げられたこともなかったから、陸海ははっきりと動揺していた。視線がゆれる。
 「どうするつもりかって、言ってるでしょ」
 心の中で、ごめん、と謝った。でも、私も痛かったんだよ、とちょっとだけ言い訳をする。っていうか、このくらいはさせて貰えないと、正直、気は晴れない。
 ま、もうしばらくは動揺してもらうけど。
 
 「ど、ど、どうしたら、いいですか」
 「何が出来るっていうの?」
 あー。大分怯えてるなぁ。あんまり脅かしすぎて、またぷっつり来られてもイヤなんだけど、でももう少し苛めていたいし。
 「な、……なんでも、します」
 ちょっとの空白の間に、少し息継ぎをしたのと、ベッドの上に視線が走ったのを見逃さなかった。
 「へぇ、なんでも?」
 ヤバイ。笑ってしまいそう。必死でこらえつつ、口の端で笑う。こんなにすんなり聞きたい言葉が聞けるとは思わなかった。うん、いい子に育ってる。
 
 ネクタイの横のタオルを取った。
 「なんでも?」
 陸海の視線はタオルに釘付けだ。何を想像してるんだろう。おかしくて、可笑しくて、かわいくて仕方ないけど、まだ許してあげない。
 
 「なんでもか、って聞いてるでしょ」
 びしっとタオルを引っ張る。それと一緒に、陸海の顔も引きつった。でも。
 「ハイ。なんでもします」
 ……後で何する気だったのか、聞いてみようっと。
 そんなことを思ったけれど、私は笑いをこらえるのが、もう限界だった。
 
 それでもかろうじて、
 「何でも、ねぇ?」
 とダメ押し。
 「ハイ」
 やっぱり泣きそうっていうか、……少し目が潤んでる? まさか……でもその視線は私の目に向けられていた。何の覚悟かは知らないけれど、覚悟がついたらしい。
 うん、そろそろ降参。
 
 「じゃ、私と結婚しなさい?」
 
 陸海はアゴが外れたんじゃないかと思うくらい、ぽかんと口を開けていた。で、数秒。はっと気づいて、慌てて口を閉じて、
 「はい?」
 と言った。
 「イヤなら無理にとは言わないけれど、その時は他の方法を考えなきゃ、ねぇ?」
 もう一回、手元のタオルを握ってビンっと引っ張って見せた。
 「あー、うん、これに意味なんてないのよ? 意味なんて」
 「イヤじゃないですけどっ!」
 何に慌ててるのか、私の言葉をさえぎるように、陸海が言った。
 「けど?」
 「あ……いえ、イヤじゃないです……」
 
 呆然。私の手が、タオルを引っ張ったり緩めたりするのを、ぼんやりと眺めている。
 「ま、すぐすぐに、とは言わないけどね?」
 「……」
 「なーに、呆けてるのよ。女の体に傷つけて、責任取れっていったら、そんなの結婚に決まってるじゃない? ……それとも、陸海は他の何かを想像したのかしら?」
 少し赤くなって、おろおろとしている。
 なんてかわいいんだろう。
 
 「ね、ホントにイヤじゃない?」
 「イヤじゃないです。っていうか、お願いします」
 「うん、こちらこそ」
 少し顔を覗き込んで、ちょっとだけ頭を下げた。
 陸海も慌てて頭を下げて、二人で笑った。

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