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 2.
 「あ、あの、……チーフ?」
 しばらく何も言わない私に、黒崎は少し焦ったように声を掛けた。
 まぁこんなことは初めてだし、しちゃったことは仕方ないさ。でも。
 「あんた、ザルじゃない。二日酔いになったなんて、聞いたことない。どんだけ飲んだのよ」
 「え?」
 「今までこんなことなかったでしょ? 課の飲み会でも、他のメンバーがゲロゲロでもあんた一人はけろっとしてたのに……」
 「あ、あぁ、ハイ、その……二日酔いって初めてで……あんなにきついものなんですね……」
 私はわずかに頭を抱えた。
 だよなー。二日酔いの黒崎なんて、想像つかない。
 
 「もう、大丈夫なの?」
 「はい。午後には大分ラクになりました。でもちょっと……自己嫌悪もあったもので、もういいや、今日は休ませて貰おうと思って……」
 「ふうん」
 
 「チーフ、怒ってます?」
 「怒ってるというよりは、呆れてる」
 そう言った瞬間、見事に眉が下がって、しょぼんとした表情になった。
 「……ですよね」
 なんだかその表情がおかしくて、あぁ、黒崎のこの顔が好きなんだよな〜とそんなことを思う。
 「どのくらい飲んだの?」
 「えっと多分、清酒一本と焼酎一本、くらいかと」
 「一本、て」
 「あ、一升瓶です」
 
 そりゃ、黒崎でも無理だろう。いや、よく分かんないけど。
 「最初は夕食とりつつ、日本酒飲んでたんですけど、あ、お店で、です……途中からもう、なんていうか止まらなくなって……帰ってから一人で焼酎開けて……朝起きたら瓶が空いてたんで、多分僕が飲んだんだと……」
 聞いてるだけで、こっちが酔いそうになった。
 
 「なんでそんなに飲んだのよ」
 「え? ……いや、その……言わないといけませんか?」
 「何、言えない?」
 「できれば」
 「仕事休んで、そんなこと言える立場?」
 うっ、と言葉に詰まる。あんまりプライベートに口出したくはないけれど、黒崎が二日酔いするまで飲む、なんて、一体何があったのか、気にならなくもないし。
 
 「そ、その、平たく言えば、ヤケ酒です」
 「ヤケ酒?」
 「……それ以上の理由は、その……出来れば聞かないで頂ければ……」
 
 聞くなといわれても、聞きたいんだけど。っていうか、ヤケ酒で理由は聞かないでくれ、ってことは……
 「失恋?」
 そう言った瞬間、黒崎は目を大きく見開いたかと思うと、顔がぱっと赤くなった。
 恥ずかしーヤツ。っていうか、分かりやすすぎ。っていうか面白すぎ。
 
 「へぇ」
 思わず笑ってしまって、黒崎は少し恨めしそうにこっちを睨んだ。
 「なんでそんなに嬉しそうなんですか」
 「え、そんな、嬉しそうなんてことは……ない、わよ?」
 慌てて顔を引き締める。あんまり笑ったらいけないよね。
 
 「で? 彼女に振られたとか?」
 「そんなんじゃ、ないですよ。もういいじゃないですか」
 「え、でも」
 「僕が勝手に思っていた人に、どうも恋人がいたらしい、それだけです」
 そう言い切って、黒崎は小さくため息をついた。
 「もう、いいでしょう? 人の話は」
 本当に、それ以上話したくないんだな、と思った。でもそれが逆に私をそそる。っていうか黒崎が嫌がることすんの、楽しいんだってば。
 
 「いたらしい、って、本人にそういう風に聞いたの?」
 「そういうわけじゃないですけど」
 「じゃ、分からないじゃない」
 「でも……」
 なんていうか、ドキドキした。男の子のこういう話でも、面白いんだなって思う。それとも相手が黒崎だから、なんだろうか。
 「本当はそんなんじゃないかもだよ? それなのにヤケ酒飲んで、挙句の果てに二日酔いで仕事休んで……」
 「それを言われるとつらいんですけど」
 「ほらほら、少なくとも私のほうが人生経験はあるわけだし、言ってごらん〜?」
 
 私がそう言ったときの黒崎の視線は、恨めしそう、の一言で。あぁ、なんだかお預け食らわされてる犬みたいな顔だなぁ、とそんなことを想像した。
 なんていうか、もう少しいじめたいような、もういいよ、と言って頭を撫でてあげたいような。
 「男の人と、二人で買い物してたんです」
 「そんだけ?」
 「そんだけ、って……」
 「だってそれだけで、恋人ってあんた……」
 見ると黒崎が少し口を尖らせていた。少しふてくされたような顔。一瞬言いよどんだ後、開き直ったように一気にしゃべった。
 「でも、普段のその人だったら、多分行かないような所っていうか……そういう所で男の人と二人であれやこれや、楽しそうに買い物してるし」
 「男友達ってこともあるじゃん」
 「だってフリフリの台所用品ですよ?」
 
 「なんだ? フリフリの台所用品って?」と突っ込みそうになって、そう言えば私も昨日行ったなぁとそんなことを思う。カントリーっぽい雑貨屋。私の趣味だったわけじゃなく、大学時代の同級生が結婚することになって、そのお祝いを買いに行った。同じ研究室だったもう一人の幹事と。
 あぁいう店のことか。だったら男と二人で買い物してたんだったら、まぁ……新婚とか、結婚予定とか……そういう感じかなぁ。
 って、待てよ、私も昨日、男と二人だったし……
 「でも、ほら、それだって友達かもしれないじゃん?」
 「そんな、慰めてくれなくていいですよ。なんで恋人じゃなくて、友達とそういう店で買い物するんですか」
 「いや、現に私も昨日、友達と、同級生の結婚祝い買いに行ったのさ〜。そういう例もあるってことで……」
 「ええぇっ!?」
 
 今度こそ、本当に黒崎は泣きそうだった。
 そのまま固まってる。
 
 「え?」
 
 私も固まった。整理しよう。
 一、黒崎の片思いの相手は、昨日男と二人でフリフリの台所用品の買い物をしていた。
 二、私も昨日男と二人で、フリフリの台所用品の買い物をした。
 三、黒崎は失恋したと思って、ヤケ酒を飲んで、あろうことか二日酔いをして仕事を休んだ。
 四、黒崎は私が昨日、男「友達」とフリフリの台所用品を買い物したことを知って、大層驚いた。
 異常。いや、以上。
 
 「……え」
 意識せずに、自然と喉から声がこぼれた。
 私のその声に、はじかれたように黒崎がこっちを見た。
 「えっと、その、あの、……聞かなかったことに、っていうか、その、なかったことに……!」
 
 ヤバイ。なんていうか、その、可愛らしすぎる。
 アワアワと何か言ってる黒崎を見ながら、私はそんなことを思っていた。
 そんな感情を抱いてもらってるとは知らなかった。普通あんだけしごかれてれば、こっちは上司とは言え女なんだから、むしろ嫌いになるかと思っていた。まぁ黒崎はあんまりへこんだりめげたり、っていうこともなくて、嫌われてるとも思ってなかったけどさ。
 
 「黒崎?」
 「はいぃぃっ?」
 びくっと引きつる黒崎の肩。
 「今の話はそういうことでいいのかな」
 「えっと、えっと……スミマセン、ゴメンナサイ、まさかこんなことになるとは……」
 何をどう謝りたいのかはよく分からないながらも、どうも恐縮してるって感じなのは分かった。
 「ま、謝ることもないけどさ」
 「で、でも」
 
 永遠に謝ってそうな黒崎に、手を伸ばした。
 びくぅ、と首をすくめる。おかしいな、こんなに怖がらせてるつもりでもなかったんだけど。
 「上司としては、応えないわけには行かないわよねぇ?」
 「あああ、あの……」
 「ん?」
 一応さっきのも告白だと思えば、これは同意の上ってことになるわな。うん、セクハラじゃない。自分に言い聞かせた。
 
 びびりまくっている黒崎に、顔を近づける。ぞくぞくする。そういう趣味はないと思わなくもなかったけど、自分の中のややサディスティックな快感をこんなに感じたのは初めてだった。
 
 「目、閉じなさいよ」
 「っ」
 慌てて目を閉じた黒崎を確認して、首に触れる。唇を重ねた。
 暖かくて、少し固めの唇。そっとたどるように唇を動かして、ぺろりとなめると瞬間、ぴくっと震えたのが分かった。
 首に触れていた右手の指をそっと動かす。首筋を撫でた。
 わずかに首をそらして、それは私の指に応えるみたいに、かすかに揺れる。
 もう一度、唇を合わせた。
 今度は舌先を黒崎の中へと滑り込ませる。一瞬ためらった後、黒崎の舌は私の舌をするりと撫でた。
 歯を一つ一つ確認するみたいに丹念に黒崎を味わってから、私は唇を離した。
 
 「チーフ?」
 私を見上げる黒崎の瞳は少しだけうつろで、それがまた、私の中に火をつける。
 「何、イヤ?」
 「いえ、そんなことは……」
 最後まで聞かずに、もう一度唇を合わせた。
 「イヤなら今のうちよ? 今ならやめてあげる」
 ごくんと黒崎の喉が動いた。ゆっくりと首を振る。その様子に、わずかに笑みがこぼれた。
 
 唇を舐めた。
 左手で黒崎の肩を押さえたまま、シャツのボタンをはずし、下に来ているTシャツの上から、胸の筋肉を撫でる。
 全体的には骨が細くて、どうしても華奢な印象だったけど、それでも布越しに感じる筋肉は明らかに若い男のそれで、思わずうっとりとしてしまう。
 
 感触を楽しむように、私は指を黒崎に這わせる。
 「ねぇ、今日、私が来た時、どう思った?」
 「びっくりしました」
 すこし緊張しているのか、それとも他に何か理由があるのか、黒崎の声は幾分低く聞こえた。
 「二日酔いで休んだのがばれて、それで怒られに来たんだと……」
 思わず苦笑した。さっき、ここに来てからの黒崎のびくついた態度は、それだったんだ。
 「そりゃぁ恐かったでしょうね」
 嫌味まじりにそう言うと、黒崎はちょっと可笑しそうに笑ってから、
 「ハイ」
 と言った。
 
 「叱られるのは慣れてますし、仕方ないですけど、こればっかりはバレたら呆れられて愛想つかされるだろうなと思ったので……」
 「そんなこと、ないわよ」
 「しかも理由が理由だったので、その……余計に」
 「そっか」
 まだ信じられない部分もあるけど、そう言ってる時の黒崎の顔は、どことなく幸せそうで、なんだか少しだけ陶然としているような気もしたので、ホントなんだなと思えた。
 
 「勝手に想像して、勝手に失恋したことにして、勝手にヤケ酒飲んで、勝手に仕事休んで」
 「すみません……」
 再び、黒崎が謝った。
 うわー、私、これが好きなんだわ、なんてそんなことを実感する。
 「すみません、っていうくらいなら、もう何されても文句言えないわよねぇ?」
 思わず頬が緩む。その微笑をどう取ったのか。
 
 「え、……ななな、何するんですかっ?」
 急に動揺して、私の体の下から逃げようとするのを、がっしと押さえ込んだ。
 「チーフっ?」
 うん、やっぱ黒崎はこうじゃないと。
 「……何、しようかしらねぇ」
 思わせぶりにそうつぶやくと、かすかに「えぇ……!?」と黒崎が言った。

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