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 3.
 翌朝、私たちは一緒に部屋を出た。途中で喫茶店にでも寄っていきますと陸海は言った。
 「遅刻しないように」
 「分かってます」
 二人だけとは言っても、朝の光の中では私も陸海も少しだけ仕事口調になる。
 それが可笑しくて、顔を見合わせて笑った。
 
 出る前に、ちょっとだけ週末のことを話した。
 どこか行きたいところある? とかそんな感じで。
 とりあえずすぐには出なかったみたいで、考えておきます、って陸海は言った。
 夜、電話がかかって来た。
 
 「チーフ、水族館とか、どうですか?」
 「いいけど……」
 陸海は、ちょっと離れたところの水族館の名前を挙げた。
 「ちょっと遠くない?」
 「そうですけど……僕が運転しますし……」
 「何かあるの?」
 「この時期だけ色々やってるみたいなんですよね。もし良かったらと思ったんですけど」
 朝の喫茶店で、地元の情報誌があったから、早速チェックしたらしかった。
 そんな陸海の素直さをかわいいと思ってしまったら、もうそれ以上、断る理由もなかった。
 
 「そうね……大分前に社員旅行で行ったけど、陸海は行ってないものね」
 「えー、そうなんですか?」
 「うん、大きくていいところだったのは本当だし、行きましょ」
 「はいっ」
 子供みたいにいい返事が返ってきた。思わず笑ってしまう。
 「お弁当でも持っていく?」
 「いいですよ」
 こういうデートは本当に久しぶりだと、会話しながら思う。学生時代とか、社会人になってすぐの頃はこんなだったけど。
 とはいっても、社会人になってから付き合ったのは陸海だけ。その前の彼は学生時代からの付き合いで、この仕事にのめりこんでからは、だんだん距離が遠くなって、別れてしまった。
 
 「チーフ? 聞いてます?」
 「ん、聞いてるよ」
 ……ごめん、聞いてなかった。
 「じゃ、朝六時で」
 「え?」
 「聞いてなかったんですか?」
 
 ……陸海の声音に「やっぱり」という気色がにじんでいて、ちょっとだけむっとした。なんで分かるかな。
 「いや、いいよ。六時ね」
 意地かなとも思ったけど、そう言ってしまう。
 「無理しなくていいですよ」
 笑うのをこらえているみたいな、陸海の声。
 「いいったら、いいの」
 「七時にしましょう」
 「……」
 
 なんかなー。陸海が余裕たっぷりなのが、どこか気に入らない。……別にそれで嫌いになるわけじゃないんだけどさ。
 意地、なのかな。
 仕事で上の立場だからって、別にプライベートでまで、そうじゃなきゃいけないなんてことはない。そんなことは分かってるけど。
 仕事だって、プライベートだって陸海より上にいたい、なんて、贅沢なのかな。
 
 陸海にコンプレックスがあるのかもしれない、とちょっとだけそんなことを思った。
 
 陸海は実際の年齢より、かなり若く見える。陸海は院卒だから、実は私とは四つしか違わないけど、隣りに並んだら十近く違うように見える気がする。
 私に限らず、仕事場のみんなからかわいがられたりいじられたりしているのは、多分そんな見た目のこともあるんだと思う。
 
 一方、私はと言えば、……認めたくないけど、老け顔?
 入社半年で、当時の上司の上司に「もう三年くらい、いるような顔をしてるなぁ」と言われた。入社三年目で「ここに来る前はどこにいたの?」と言われた。
 ……態度がでかいとか、そんなのは……そりゃ、ないとは言わないけどさ。
 挙句の果てに「仕事が趣味」みたいな生活をしていたから、ちょっとあんまりだろうと自分でも思って、何かないかと考えた末、この部屋を買ったら……
 「結婚はあきらめたの?」
 って……そりゃないよね、まだ三十前だっつーの。
 
 どんどん不愉快なことを思い出してしまって、ちょっとむしゃくしゃしてきた。
 ぽすん、と手元にあったクッションを殴る。
 八つ当たり、かなぁ。陸海が何も言わないって言うか、むしろそれを受け止めてくれていることに、甘えているような気がしてきた。
 ちぇっ。
 
 どんどん気分が悪くなりそうで、それ以上考えるのはやめにして、寝ることにした。
 

 土曜日。天気は快晴。
 七時に陸海が迎えに来るというので、六時に起きた。当初話していたお弁当は、なし。中のレストランで、結構おいしそうな所があるのを見つけたとかで。
 紫外線がだいぶ強そうなので、日焼け止めはしっかりと。
 バッグの中にも忍ばせる。
 
 「おはようございます」
 定刻。陸海の車が、家の前に横付けされた。
 カジュアルな服で、いつもより若く見える。……私も一応それなりの格好はしているつもりだけど。
 
 「わ」
 「何?」
 「チーフのそういう格好って、初めてかも」
 「そう? 先週もだったじゃない」
 先週は、結局我が家でだらだらと過ごしたのだけれど、ちょっとだけ買い物にも行ったりしたわけで、私服がはじめて、というわけではないのに。まぁ、気合の入れ方はちょっとだけ違うけど。
 この前のは、変じゃなきゃいい、って程度。今日は……並んで歩くんだよなと思ったら、ちょっと気になって、あれこれ悩んだ。
 結局GパンにTシャツだけど。だって水族館とは言え、ちょっとアウトドアっていうか……そういう感じのところだし。
 
 「いや、でも」
 「似合わない?」
 「いえ、似合ってます、っていうか……かわいいです」
 
 陸海が、似合わないなんて言うわけがないから、そんなことを聞くのはただの自己満足なんだけど。でも、つい聞かずにはいられなかった。
 「そう? 若作りかなと思ったんだけど」
 そう言うと、陸海は笑った。
 「若作りって、そんな年でもないのに」
 
 ……そうかな。そうかも。でも、気になるんだよね。
 
 水族館までは、およそ三時間の道のり。休憩なしってわけには行かないだろうから、着くのは十時過ぎくらいかな。
 この件はほとんど陸海に任せっぱなしだったから、よく分からない。社員旅行のときは一泊だったから、あちこち寄りながら行ったし。
 道のりの半分以上は山の中。山を越えたらあとは海岸線を走る。
 途中、道の駅で二回休憩した。
 
 「ね、この裏、滝があるんだって」
 「行って見たいですか?」
 「うん」
 
 そんなに遠くもなさそうなので、行って見ることにした。駐車場を横切る。
 「危ないっ!」
 「わっ、……ごめん」
 車に気付かず、轢かれそうになった。
 「……志織さん、気をつけて?」
 「……ハイ」
 名前で呼ばれるのは、まだちょっと照れくさいな、と思って陸海の方を見たら、頬が少しだけ赤かった。わー陸海も照れてる、と思ったら、顔に出てしまったみたい。ちょっと口を尖らせた。
 「誰もいないんだから、いいでしょう?」
 「誰も『いけない』なんて、言ってないよ」
 「そうですけど」
 まだ何か言いたそうな陸海を見上げて、私は腕を組んだ。
 「これもいいよね?」
 「……もちろんです」
 
 隠さなきゃいけないと思ってるわけじゃない。でもなんとなく、おおっぴらにすることもないかなと思ってる。
 今日は遠出だから、多分誰にも会わない。思いっきりこんな風に出来るんだ、と思ったらうれしくなった。
 
 滝は本当にすぐ裏で、車に戻っても二十分も経ってなかった。
 

 水族館に着いたのは、十時を過ぎて半にも近いくらい。着いて入場料を払うなり、陸海が受付の女の人に何かを訊いている。
 貰ったばかりのパンフレットに、ペンまで借りて、何か書き込んでいるのが見えた。
 二人分のチケットとパンフレットを持って陸海が帰ってきた。
 「何やってたの?」
 「内緒です。さ、行きましょ」
 それ以上聞くのはダメ、とでも言うみたいに、さっさと歩き出す。
 「えー、何?」
 「内緒」
 陸海の方のパンフレットには、13:10の字が書き込まれていた。何があるんだろう。
 きっと何か調べてきていて、陸海なりに考えていることがあるんだろうなと思ったら、すごく知りたい。でも、陸海の顔はかなり楽しそうだったから、それ以上聞くのはやめた。
 きっと悪いことではなくて、喜ばせてくれようとしているんだと思ったから。
 
 最初に水族館の館内を見て回る。
 回遊水槽や、小さな水槽、縦長のものもあれば、横長のものも。それから少し歩くと、レストランとか……え? 釣堀?
 「ちょっとだけ、やりませんか? ここで釣ったのをすぐ揚げてくれるみたいですよ」
 陸海の指差す先には、カウンターのようなものが。
 「揚げ代 30円(一匹)」の文字が見えた。アジの釣堀みたい。
 
 「私、やったことないよ」
 「大丈夫ですよ」
 「陸海はあるの?」
 「ここではないですけどね」
 そうなんだ。考えてみたら、陸海が普段何してるかとか、今までどんな経験をしてきたのかとか、ほとんど知らなかったな、とそんなことを思う。
 「もしかして、捌いたりも出来るの?」
 「小さいものなら」
 ……少し感心した。っていうか、私出来ないし。気持ち悪いとかじゃなくて、単にやったことがない、ってだけのことなんだけどね。
 
 「お昼もそこで食べましょう」
 陸海はカウンターの横にある、ちょっと和風っぽいレストランを指差した。
 「すごい。全部計画済み?」
 「そうですね。あれこれ考えてると止まらなくて」
 そう言って少し照れた。
 
 アジは結局陸海が二匹釣った時点でやめた。
 「もっとやらないの?」
 「やったって、仕方ないし。持って歩きますか?」
 「でも」
 「まだまだ予定はあるんですから」
 ちらりとさっきのパンフレットのことを思い出す。そっか。
 揚げたてのアジを食べてから、レストランへ。
 皿盛りの海鮮どんぶりみたいなものを食べて、それから少し辺りを歩いた。
 アジで結構お腹いっぱいになった上に、普通に一皿食べたから、かなり満腹だった。風が少し出てきていて、ちょうど気持ちいい感じ。
 
 「眠くなりそう」
 そういうと、
 「だめですよ、これからメインなんですから」
 と陸海が言った。そう言えば、もう一時になる。
 「そうそう、さっきの、何?」
 「行ったら分かりますよ。行きましょう」
 「どこへ?」
 答える間もなく、陸海はどんどんと入り口へと引き返していく。
 「ねぇ、どこ行くの?」
 「集合場所が、入ったところのゲートなんですよ」
 集合場所? だから何?
 
 行ってみると、さっきはなかった長机と、幟が立っている。
 「バックヤードツアー集合場所」と書かれていた。
 「これ?」
 「そうです」
 陸海がちょっと得意気にそう言った。
 
 メンバーは10人ほど。先着順らしくて、だから陸海は先に申し込んでたんだ、と気付いた。点呼して、名札を貰って、それから説明。
 「最後にイルカに触ってもらって、イルカプールで解散になります」
 え?
 
 「ね、イルカ、触れるの?」
 「そうですよ。志織さん、そういうの好きじゃないかと思って」
 「好きって言うか……すごい」
 「でしょ?」
 私たちの会話を聞いていた飼育員さんが、少し笑った。
 
 バックヤードツアーは名前の通り、普段見ることの出来ない裏側に入らせてもらって、説明してもらえる、というものだった。
 水槽の後ろの配水管の山とか、上から見る水槽とか。
 途中で餌用の冷凍庫に入ったり、水槽に手を入れて、魚に餌をやったりする。
 そしてメインのイルカとご対面。
 イルカも私たちが見ることの出来るイルカプールではなく、そのパネルの後ろ、しいて言うならば控え室みたいな所でイルカに触ることが出来る。
 
 「すごい。こんな近くで見たの、初めて!」
 近くで見ると、結構大きい。すべすべとした素肌。でも。
 「あ、いいですって言うまで、触っちゃダメですっ」
 と子供が叱られた。イルカが歯をむき出して、その子を威嚇していた。
 意外に気が荒かったり。
 解散した後は、ちょっとだけ時間が空いた後、イルカのショーを見た。
 さっきまで自分が触っていたイルカが、空中を跳ねたりするのは、なんだかすごい。イルカのショー自体はそんなに特殊なことをするわけじゃなかったけれど、さっきのツアーのおかげで、イルカとの距離感が縮まった気がした。
 
 終わって、スタジアム型のステージの観客席を出る。目の前には水平線。
 左の方にはこの水族館の裏手につながる岩場。遊覧船も出ていたみたいだけど、結局それには乗らなかった。
 
 「終わったねー」
 目の前に、大きく横切るひこうき雲。まっすぐ、まっすぐ伸びている。私は大きく深呼吸をした。
 「楽しんでいただけましたか?」
 陸海がちょっと慇懃に言った。
 「はい、とても」
 私もちょっと気取って返事をする。
 「じゃ、そろそろ頑張って帰りましょう」
 「だねー」
 
 今から帰っても、夕食は途中になっちゃうな。
 「私も少し運転するよ?」
 「いいですよ。誘ったの僕ですし、最後までやらせてください」
 陸海が笑った。少し傾きかけた陽が、陸海の顔の陰影を少しだけ深く見せている。何故だか急に、とても好きだと思った。
 
 腕を組んだ。今日、何度も繰り返した行為だというのに、それでも触れる瞬間はちょっとだけドキドキする。
 「また、どこか行こうね」
 「もちろんですよ」
 そう答えた陸海の顔は、今までより少しだけ男っぽく見えた。
 
 ―――――― Fin.

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