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 1.

 彼のまっすぐさは、まるで青空を一直線に渡る、ひこうき雲のようだと思った。
 

 ヤバイ。結構ヤバイ。かなりヤバイ。
 日に日に、はまってる気がする。朝、起きるたびに、そんなことを思う。
 
 行き当たりばったりと言うか、成り行きと言うか、そんな感じで陸海と付き合うことになって、幾日かが過ぎた。
 ほんの、数日。
 なのに。
 
 私は自分で気付いていた以上に、陸海のことを好きだったみたいだ。
 陸海とそういうことになった夜、家への道すがら、頭の中は陸海のことでいっぱいだった。それも、ヤバイことに、何の自覚も無く。
 あれもしたいとか、これもしたいとか、さっきまで会ってた陸海の面影とか。
 そんなことをふらふら考えながら家へ帰って、寝て起きて。
 朝、会社へ行って、仕事を始めて。
 もちろん仕事は仕事だから、当たり前にやってる。だけど、そこにあるとはまったく想像していなかった脳の隙間に、ぽかっと陸海が入ってきたみたいに、当たり前のように陸海のことも考えていた。
 
 しかもさらにヤバイことには、その時の私は傍から見ても、まったく「変じゃなかった」ことだ。
 今まで考えたこともなかったことを頭の中で考えてたというのに、それに気付いた人は――少なくとも指摘した人は、誰もいなかった。
 
 そしてそんな自分に気付いたのは、思惑通り陸海と飲みに行き、そのまま家へ帰って(この辺りのことは、実は半分くらいしか記憶がない。これはこれで、ヤバイ)、翌朝目覚めて陸海と話をしていたときだった。
 そんなに自分のことを考えていてくれたのか、といった意味のようなことを陸海は言ったと思う。
 その言葉の裏には、感激と言うか、うれしさと言うか、そういうものがにじみ出ていたと思う。
 その瞬間、私の頭に大きく疑問符が浮かんだ。
 
 え? そんなに感激してもらえるようなこと?
 そう思って……やっと気付いた。陸海のことばっかり、考えていたんだ、私。
 
 慌てて一日前を反芻する。
 大丈夫、仕事だってちゃんと出来てたはずだし、少なくとも誰も何も言わなかった。昨日やるべき仕事はきちんと終わらせて、陸海にまで割り振るくらいの余裕もあったわけだし。
 今は時期的にそんなに忙しくもないから、ルーチンがほとんどだ。必死で頭を絞って考えるような業務はほとんどないから、……うん、大丈夫。
 と、そこまで考えて。
 
 ルーチンじゃない業務だったら? 新しい業務だったら? 繁忙期だったら?
 ……本当に私、大丈夫なんだろうか。
 
 そんな私を、陸海はちょっと不安そうに見ていた。
 「なんでもないよ」
 陸海に心配させたくなくて、私はそんな風に言った。なんでもなくは、ないんだけれど。
 

 「なぁ、最近ちょっと、黒崎ヘンじゃねぇ?」
 北川からそんなことを言われたのは、週も半ば、木曜日のこと。
 ばれてるはずもないのに、陸海の話題が出るとちょっとドキッとした。
 手の中の紙コップ。熱いコーヒーをすすりながら、私は聞き返した。
 「変って?」
 「ヘンじゃねぇ?」
 
 人前では北川も私に一応敬語を使うのだけど、二人きりの時はそうでもなくて、結構普通にしゃべる。
 私も北川も、今週の山場のミーティングを終えて、ちょっとほっとしたところだったから、そんなことも関係しているのかも知れないけれど。
 「なんか、ヘン」
 「そうかな」
 北川がどの部分を指して言ってるのかよく分からずに、私はあいまいに相槌を打った。
 
 「ま、元から不真面目じゃなかったけどさ、ここんところ、急に……まじめになったっていうか」
 「あー」
 それをヘンというのは、ちょっとかわいそうじゃなかろうかと思う。
 「うん、私もねぇ、最近は突っ込みがいがなくってさ」
 「だろ?」
 「まぁでも、それはそれでいいのかな、とか思ってたんだけどね」
 それに、この前一日休んだこともあるから、多少仕事は押してるだろうし。私が振ってる分もあるし。
 
 「でも、あいつここ数日、昼飯食ってないよ、多分」
 「え?」
 「あ、持ってきて机で食ってたりしたらわかんないけど、……外には出てないと思う。俺だって下からそれ聞いて、え? とか思ったもん」
 「そうなの?」
 
 やけに頑張ってるなーとは思ってた。でも、そういう関係になっちゃったら、なんていうか、ちょっと声を掛けるのにもためらいを感じてしまったり、仕事場で二人きりになるのもなんだかなーと思って、あえてあまり接触していなかった。
 
 「しかも、他人の分まであれやこれや手伝ってやってるみたいだし」
 「なんで?」
 「さすがにそれは知らない。でも黒崎どうしたんだろう、って話にはなってる、みたいだぜ?」
 
 もしそうなら、そりゃみんな、心配するだろうなぁ。
 確かに私は最近、自分の仕事の手伝いを陸海に回すようにはしている。内容はもちろん選んでるけど、それは「教育」も兼ねてのことだし、それは部内にも言ってある。
 それに、当たり前のことだけど、昼食も取らずにしなきゃいけないほどの量をまわした覚えはない。まして他の人のまで手伝ってるってことは、陸海は陸海で何か考えてやってるんだろうとは思うんだけど。
 
 「いけない理由はないけどさ、繁忙期になったらこんなもんじゃなくなるんだし、この時期からそんな仕事抱えてたら、周りもクセになるしな。あいつだって分からないわけはないと思うんだけど」
 「そうよねぇ」
 「俺から言うより、チーフから言ったほうがいいだろ? ちょっと聞いてみてくんない? 意外にみんな、心配してるから」
 「そう。分かったわ」
 北川が言いたかったのはそこみたいで、言い終わるとちょっとため息をついた。
 
 「まぁ黒崎が仕事が楽しくて仕方ないって時期だってんなら、仕方ないけどな」
 「そうね」
 「周りに心配かけてちゃしょうがないし」
 「言ってみる」
 「ま、頼みます」
 
 私に「チーフ」という肩書きがあることもあるのか、あるいは会議なんかで席をはずしていることが多いこともあるのか、スタッフの子達は私に言えないことでも北川には結構言えるらしい。
 北川はそういうところを十分自覚していて、それを私に伝えてくれる。
 今回も、彼らのサインを見逃すところだった。
 「こっちこそ、気付かなくて……ありがとう」
 「いえいえ」
 北川はちょっと照れたように笑った。
 

 戻って、資料室の鍵を取る。
 「黒崎、ちょっと来なさい」
 「え?」
 「いいから」
 
 一瞬周りがざわつく。何やったんだ、とかそんな声も聞こえる。
 ……そんな怖い言い方、したかしら。
 「はい、……」
 陸海が何やら机の上をがさがさっとして、立ち上がった。
 「資料室」
 「ハイ」
 私は鍵をちらちらと振り回して、陸海に声を掛けて先に行った。
 北川はちらっとこっちをみて、よろしく、っていう感じで手を振る。
 資料室は普段あんまり使われていない、書類が置いてあるだけの部屋。とはいっても調べものをする人はいるから、簡単な机と椅子は置いてある。
 だもんで、私が何か話をする時っていうのは、大体ここなんだよね。
 
 「失礼します」
 「ハイどうぞー」
 私は先に座って、待っていた。
 陸海はずいぶんと不安そうな顔をしている。……まぁこの部屋の普段の使われ方を思えば、楽しそうな顔をしろ、と言う方が無理かもしれない。
 ここで叱られるっていうのは、平たく言えば他の人に聞かれたくないくらい「ひどい」お叱りってことだから。叱られるとまでいかなくたって、他の人に聞かれたくない話、というのはおおむね良くない話が多いものだし。
 
 「座って」
 「ハイ」
 斜め前の椅子に座るように促す。
 
 「単刀直入に聞くけど、黒崎、最近お昼食べてないの?」
 「え?」
 きょとん、という言葉がまさしくぴったりな顔で、陸海がこっちを見た。
 「えっと……」
 「北川から聞いたけど、最近お昼食べてないんじゃないかって。しかも他人(ひと)の仕事まで手伝ってあげてるみたいなんだけど、何かあったのか、って心配されてる」
 「……」
 「仕事が楽しくてしょうがないとか、そういうことはあるのかも知れないけど、今の黒崎はそういう状態なの? それとも、他に理由があるのかしら」
 「……」
 ちょっと困ったように、陸海は目をそらす。
 「上司としては、仕事に、そんなにまでやる気になってくれるというのは、本当にありがたいことなんだけど、お昼もとらないっていうのは、まぁちょっとやりすぎかと思うし……そんなに切羽詰った仕事を回した覚えもないし……」
 「あ、いや、一応お昼は……」
 「何?」
 「ちょっとしたものを取ってはいるんで……」
 「ちょっとしたものって……?」
 「えっと、行きにコンビニで買って来たりしてるんで」
 
 少しほっとした。っていうか、それ以上細くなられると、色々な部分で複雑な思いもしなきゃいけなくなるのよね。まぁ、これは要らない話だけど。
 
 「そうまでして、仕事してる理由は?」
 「あー……えっと」
 ちょっと気まずそうに、視線をそらした。
 だからこの男は。
 その表情(かお)が私をそそるって、まだ学習していないわけ?
 「『私』にも言えないこと?」
 「あ、あ、違いますっ!」
 あら、すごい。ニュアンスに気付いたみたいだ。まったく学習してないわけでもないみたい、多分。
 
 「えっとその、チーフにも言われたんですけど、やっぱ僕って、まだまだだなぁとか、つくづく思っちゃって、とりあえず、仕事で一人前にならないと、なんていうか、大きな顔も出来ないしとか、色々考えるとチーフや、他の人の仕事も奪うくらいの気持ちで仕事してれば、少しは早く認められるかな、とか……」
 早口で一気に言ったかと思うと、最後の方、少し首をすくめるみたいに声が小さくなった。
 
 「だからって、そんな……」
 「やっぱり、堂々と隣に並びたいですから……」
 声は小さかった。でも、上目遣いに私の目を見て、ちょっと照れたみたいに笑ってて、頬が少し紅潮している。
 それって……
 私の隣に、ってことだよね、と陸海の言葉を反芻する。
 ヤバイ。ちょっと今のは来た。抱きしめたい。
 
 私が黙ってしまったのをどう取ったのか。
 「あ、いやその、やり始めると意外に面白かったり、慣れないことをしたもんで、どこで区切りをつけていいものやら、とか思ってちょっと手際が悪かったりはしてるんですけど、その」
 言い訳なんだか何なんだか……上司に、仕事をしてる言い訳をする部下ってのもどうなのよ。
 どこまで何を言い出すか、最後まで聞いてみたい気もするけれど、それはあまりにも意地悪ってものだろう。
 
 「だからって、無理はだめよ? 無理は」
 「あ、ハイ、無理ってほどの無理はしてないです。でもその」
 スイッチが入ってしまったのか、まだまだしゃべりそうな陸海にそっと顔を寄せた。
 「私は今のままの陸海でも、十分好きなんだけど」
 「え、え…… その……」
 顔がさっきよりさらに赤くなった。
 「今晩、陸海の部屋、行ってもいい?」
 
 週末にはデートでもしようかと思ってた。なまじ職場が一緒だから、あんまりべったりだと良くないかなとか思って、ちょっと距離を置いてみたりした。
 でも、こんな陸海を見たら、やっぱり我慢できない。
 「えっ?」
 「行っていい?」
 「……僕が行きます」
 「え、でも」
 「僕が行きます」
 陸海の手が一回握って開いたのが見えた。陸海も同じ気持ちなのかなってそう思ったら、やっぱりどうしようもなく抱きしめたくなった。
 でも、さすがにそれはまずい。
 
 「うん、わかった」
 嬉しくて、私まで顔が赤くなる。そんな私を見て、陸海がさらに動揺してる。
 何やってるんだ、私たち。思わず噴出した。そんな私を見て、陸海も自分で気付いたのか、ちょっと笑った。

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