Index

 昔、女ありけり……。
 

 女は、ふらりと家を出た。夜、もう大分更けた時分だ。危険がまったくないと言えば嘘になるが、少し酔い心地の女は、なんだか外を歩きたい気分になったのだ。
 「どこ、行くの?」
 
 友人が、出て行く彼女を見咎めて、声を掛けた。
 彼女の部屋で、今まさに宴はたけなわと言ったところだった。ホステス役の彼女としては、見逃すわけには行かなかったのだろう。
 
 「ん……。出てくる」
 「なんで?」
 「なんでと言われても」
 女は困惑した。出たい気分だから、としか言いようがなかった。その集まりが、楽しくなかったとかましてや不愉快だったというわけではない。ただ、なんとなく違和感を感じたことは間違いがなくて、それは女に二の句をためらわさせた。
 
 そんな女の様子に、何か思うところでもあったのだろうか、友人はそれ以上追及することはなかった。きっと見逃してもらったのだろうと勝手に解釈をして、女はその家を出た。
 
 どこへ向かおうというはっきりとした意図があったわけではなかったので、すぐに道を迷う。どこへ行こう……小さくつぶやいて、ふと見上げた。
 さっきまでいた家は、わずかに遠くに明かりだけが見える。そしてその先。背後に急勾配の団地が見える。
 あそこまで行けば、結構気持ちいいかもしれない。そう思ったのは、まもなくやってこようとしている台風の予兆ともいえるぬるい風が女の頬を撫でた時だった。
 

 女は黙々と歩いた。歩いた時間は十五分をゆうに超えた。すぐそこに聳え立っているように見えた急勾配の丘陵も、足で歩き、それを登れば意外に時間がかかるものだと改めて知る。
 知った道ではなかった。やがて道は細くなり、幾分心細い気分になった。車はもう、通れないほどの道になっている。それでも、そこが「道」であることだけを信じて、女は歩いた。
 
 車道ではなかったから、だろうか。たどり着いた先は、まだ造成地としての形をやっと整えたと言った体の、小さな空き地だった。
 だが、その分――まだ、出来たばかりの分――辺りには明かりと思しき明かりも少なく、そしてそこにたった女は息を呑んだ。
 
 眼下に、街の明かり。頭上には満天の星空。思わず大きく息を吸い込んだ。風が強い。高台であるだけに、より強い風が吹いているようだった。
 
 頭上は快晴とは行かなかった。そして……星が驚くほどのスピードで流れている。一瞬驚き、そして破顔。動いているのは、星ではなく、手前の雲だった。千切れ雲が、星を隠し、そしてまた、動いて、その向こうの星が見えてくる。それがあたかも、星が雲の向こうをよぎっているように見えるのだと、気づくまでに幾分の瞬間があった。
 
 辺りには、地上のものは少なく、視界には星と雲だけだった。その、あたかも流れていくかのような星の姿に、女はくらくらした。
 ありえないことなのに、今、自分は星が流れるのを見たのだとすら思った。
 そして、……自分がいささか疲れている世の中というものも、案外こんなものなのかも知れないと思う。
 
 自分が動いているから、相手が動いているように見えるのかも知れない。本当に動いているのは、「それ」ではなく、周りの「何か」なのかも知れない。
 変わっていく時代に巻き込まれ、疲れている気がするのも、実は自分が変わっていっているのかも知れない。それはいいことなのだろうか。変わっていくことがいい事とは限らないけれど、成長とはそんな物なのかもしれない。
 背が伸びるときには、膝が痛むように。

 ふと、さっきまで居た喧騒が懐かしくなる。今のこの気持ちを、どう伝えよう。心配をかけたかもしれないと思うと、少し心が痛んだ。
 伝えてみよう。
 うまく、言葉に出来ないかも知れないけれど。
 
 ――――― Fin.

Index

(c)Copyright 2002-2010 Kisaragi Iroha. All rights reserved. Never reproduce or republicate without written permission