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 1.出発

 「おはよー」
 タケの姿が見えた。
 
 夏だといっても、まだどこか暗い朝の五時。私は駅でタケを待っていた。
 陽はまだ差していないけれど、すでに空気は生ぬるくて、じとっとした感じで肌にまとわりついてくる。
 「おはよー」
 タケは眠たそうにガラガラと小ぶりなトランクを引きずっている。
 
 「起きれた?」
 「なんとか」
 すでにチケットは買ってあったので、二人並んで新幹線口へと向かった。
 「なんか緊張するねー」
 「え、そう?」
 実は私は今回が初めての海外旅行だったりする。行き先は香港。タケは香港は初めてだけど、グアムに行ったことがあるらしい。あんまり詳しいことは聞いてないけどね。
 
 「新幹線なんて、出張でよく乗ってるでしょ」
 「そっちじゃないっ」
 ボケなのか、なんなのか、タケがそんなことを言う。思わず突っ込んで、笑ってしまった。タケだって、分かって言っているって分かったから。
 
 「俺はそれより、眠い」
 「うん、そうだねー」
 指定席を取ってあるので、乗ってしまえば眠れるだろうけれど。
 普段どっちかといえば夜型に近い私たちには、この時間に起きるどころか出発する、っていうのはかなり厳しいものがある。
 エスカレーターに乗って、ホームへ。さすがにホームは幾分か風が強く、涼しかった。とはいえ、エアコンの効いている場所には、かなわないけれど。
 時間がまだ20分ほどあったので、コーヒーと雑誌を買った。
 

 空港へと着いたのは、10時を少しだけ回った頃だった。
 集合時間は10時半。初めての空港だというのに、何も見る余裕もなく、ただ、天井の指示板を見ながら、集合場所だというカウンターを探した。
 事前に旅行会社から貰っていたパンフレットには、ちゃんと空港内の見取り図と、集合カウンターが書いてあるのだけど、やっぱりすぐには見つからなくて、うろうろしてしまう。
 
 「みのり、こっち」
 タケに言われて、付いていくと、やっとそれらしい看板が見えた。
 
 「お預けの荷物はこちらでチェックします」
 制服を着た人に呼び止められる。
 え、え……と動揺しているうちに、タケが荷物をその人に渡したので、私も慌てて同じようにした。
 カウンターでは言われるままにパスポートを出したり、荷物を預けたり。
 はっと気づくと、トランクはなくなり、手にはボーディングパス。なんだかあっけなくて、ちょっとだけ呆然とした。
 海外旅行も初めてなら、国際空港も初めて。色々なショップが沢山あって、それだけでわくわくしてくる。それにさっきまであったトランクは今は預けてしまっているから、身軽になったというのもあるし。
 
 「こっち、行くよ」
 タケが、そんな私の気持ちはあまり構わないみたいに、どこかへ行こうとする。
 「え、待ってよ、見たいんだけど」
 「中にもあるから」
 「中?」
 「免税店は中だよ。さっきカウンターの人が混むかもしれないから早めにって言ってたし。さっさと入ってしまおう」
 「入って?」
 
 タケの言うことが、半分くらいしか理解できないけど、とりあえず付いて行く。
 「パスポートとボーディングパス、出しておいてね」
 と言いながら、タケが行くのは、壁に出入り口が付いたような所。入り口の所には警備員の人が仁王立ちして、なんとなく前を歩いている人を見たら、そこでパスポートとかを見せて、中に入っていっている。
 慌ててパスポートを出して、見せて中に入った。
 
 「うわっ」
 思わず声が出てしまう。すごい人。手荷物の検査の機械も、以前国内線に乗ったときの機械より大きくて、台数も多い。で、手荷物検査の後は、出国。
 これは初めてなので、さすがに少し緊張した。まだ日本なのに、ここで緊張してどうするんだろう。
 そんな思いと裏腹に、あっけなくパスポートは返ってきて、そのまま出ると、タケがそこで待っていてくれた。
 
 広々とした空間の向こうに天井までのガラス。そしてその向こうに飛行機。
 建物は横長で、先は見えないくらい長い。そして免税店。
 名前はもちろん聞いたことくらいあった。どういうところかも知っていた。でも、実際に来たのは初めてで、それに圧倒される。
 化粧品のコーナーなんかは百貨店と変わらないかな、と思うけれど、もっと狭くてあわただしい感じが漂っているような気がした。
 
 「俺はそんなに見たいもの、ないから、みのりはゆっくり見てきていいよ。あ、でも……1時間くらいが限度かな。ゲートにも、一応早めには行っておきたいし」
 「そんなにかからないよ、大丈夫」
 口ではそう言ったけど、まばゆい売り場にすでに心は奪われていて、ちょっとだけ自信がなかったりして。
 
 「帰りはここには来れないから、買うんだったら今決めないとダメだよ?」
 「そうなの?」
 タケがちょっと笑った。仕方ないじゃない、初めてなんだから。
 「でも、化粧品は見たいけど、買うわけには行かないかなぁ」
 「いいんじゃない? これも勉強のうちでしょ」
 「そうだけど」
 考えてみれば、売り場の人へのお土産とかもあるしね。そこのところ、実はまだ、何も決めたり考えたりしていなかったりする。
 
 「じゃ、適当にその辺りにいるから」
 タケが軽く指差した辺りは、ブランドショップが並んでいる。そっか、タケも勉強かな、とちょっとそんなことを思った。
 
 化粧品売り場へと足を踏み入れる。国産メーカーが奥よりの真ん中。手前は外国のブランド。
 「うわっ、やっす……」
 小さく声に出てしまう。外国ブランドは価格まではそんなに把握していないけれど、国産ブランドは普段売っている側なだけに、その価格差をひしひしと感じる。もちろん、買わないけれど。
 品揃えは、そんなに変わらないかな、と思う。で、ひとしきり観察したら、外国ブランドへ。以前に海外旅行土産でフレグランスのミニチュア瓶を貰ったことがあるのだけれど、「あぁ、こういう風に売っているのか」と思った。
 
 結局「国内未発売」とか「限定」の文字に弱くて、御幸の町では百貨店でも扱っていないブランドのコフレを一つ買った。それから、同じく「国内未発売」のフレグランスを一つ。
 同じブランドにしたので、化粧ポーチをつけてもらって、少し得した気分になる。あぁ、でもお土産、どうしよう。
 
 お店の外に出ると、ちょっと行ったところのベンチにタケが腰掛けているのが見えた。
 歩いていくと、途中で私に気づく。手に袋を提げているのを見て、少し笑った。
 「いいの、あった?」
 「うん、……買っちゃった」
 タケが手にしていたペットボトルのお茶を一口貰う。なんだか空港内って、空気が乾いているみたい。
 
 「タケは? いいのはなかったの?」
 そう尋ねると、困ったように苦笑した。
 「いや〜、まぁもともと買う気で来たわけじゃないから、いいんだけどさ」
 「どうしたの?」
 「そこらへん、この格好で入るのは、ちょっと勇気がいった」
 ブランドショップを指差す。
 「普段はあんまりそんなこと思わないんだけどな、さすがにラフな格好な気がして、気が引けちゃって……」
 「でも、見ることは見たんでしょ?」
 「うん、まぁね。でもそそくさと出てきちゃったよ。もう少しましな格好してればよかったなぁって」
 「そっか」
 洗いざらしのTシャツとGパン。せめて上が普通のシャツだったりすれば良かったかも知れないけど。
 
 「着替えには一応もう少しましなのも入ってるから、あっち着いて、この手の店に行くときは、それにするわ」
 「それがいいかもね」
 私はそんな格好のタケも好きなんだけど。お店には格ってものがあるから、仕方ないか。

 そんな他愛もないことを話しながら、時間が過ぎるのを待つ。
 ボーディングタイムにあと30分、というところで、ゲート前に移動した。ゲート前にも少しお店があったけど、小さくて品揃えをいまいちだったので、眺める程度で終わる。
 で、いよいよボーディングが始まった。
 
 飛行機の中は、今まで乗ったものよりも断然広かったけど、それ以外はあまり大きな違いはないかな、と思う。新幹線を横に広げた感じ?
 日本の航空会社だったので、キャビンアテンダントも、他のお客さんも日本人が大半で、あまり「外国へ行く」っていう気はしない。でも、お手洗いに立ったときに、後ろの方には明らかに、「日本語じゃない言葉」をしゃべっている人たちがいて、それが少しだけ気分だった。
 

 香港にはほぼ定刻に到着。機内食を食べて、シートの背もたれに入っていた雑誌を眺めてたら眠くなって、寝たら着いたって感じだった。
 機内食は初めてだったけど、あんなものかな、って感じ。
 本当に肉か魚か選べるのは、あぁ、機内食なんだなって思ったけれど、よく雑貨の本とかで「機内食風」って言って、ワンプレートに乗ってるのは、違うじゃん、とか思った。
 
 空港に着いたら入国審査。空港自体が広くて、そりゃ日本の空港も広かったけど、それ以上に広い気がした。実際のところはどうなんだろう。
 初めてで、不安だから余計にそんな気がするのかもしれない。
 
 入国審査が終わって、荷物を引き取って、出口へと向かう。その時タケが「ちょっと待って」というから何かと思ったら、両替だった。
 そういえば、そんなことが必要なのも、すっかり忘れてたなぁとそこで気づいた。入国審査に緊張するばかりで、その他のことは頭からすっぽり抜けてたみたい。
 で、タケの両替が終わって、表へと出ると出迎えの人の山。
 その中から、懸命に今回参加したツアーの会社の人を探した。
 とりあえず、同じ会社名を見つけたので、近寄る。
 
 「あのー」
 「ア、ツアーノヒト?」
 うわっ、日本人じゃない。でも、日本のツアー会社だし、一応しゃべってるのは日本語だし。
 「はい」
 「オナマエハ?」
 「岸本です」
 タケは私の驚きをよそに、普通に受け答えしている。
 
 「キシモトサン、ネ」
 手元の紙をめくって、調べているようだ。
 「ンー、コッチジャナイネ」
 え?
 そう思った途端、その人は後ろの方を向いて、声を掛けた。
 「ソッチキシモトサン、ダレカイル?」
 一斉に、その辺りにいた数人が、みんなでそれぞれの手元の紙を覗き込んでいた。
 「あ、岸本さん……と、永原さんですか?」
 一人がそう言う。この人は日本人みたい。
 「あ、そう、それです」
 「じゃ、こちらどうぞー」
 
 どうやら、同じ会社のガイドさんでも数人がいたみたいだった。最初に声を掛けた人がたまたま一番前にいたけど、実際は6人くらい? でもどの人がガイドで、どの人がそうじゃないのかは、結局分からずじまいだった。
 「もうあと二組来られますので、この辺りで待っていてください」
 ゲートから少し外れたベンチ。言われたとおりに腰掛けて待つ。それから5分ほどで、全員がそろったみたいで、もう一回呼びに来た。
 
 ぞろぞろとガイドさんの後ろを付いて歩く。あぁ、ツアーだなぁと、感じた瞬間。
 空港の中は冷房がきっちりと効いていて、まったく暑くはなかったのだけれど、一歩外へ出ると、そこはまさしく亜熱帯。むわっとした、日本の夏の空気をさらにじっとりとさせたような風が吹いている。
 「うわっ、さすがに暑いなー」
 「あつっ」
 口々に、そんなことを言いながら、駐車場まで歩いた。
 
 「じゃ、今車が来ますので、もうしばらくお待ちください」
 一応形ばかりは屋根のある場所。それでも日陰というだけで、大分涼しい。
 
 「やっぱり暑いね」
 「だなー」
 タケはすでにへばりそうなくらい、げっそりとした顔をしていた。
 「まだこれからなのに」
 思わず笑ったら、
 「暑いもんは暑い。夏に来るんじゃなかったなー」
 なんてことを言っている。
 「でも、夏だから、安かったんじゃないの?」
 「あ、そっか」
 
 今回のツアーはいわゆる「激安ツアー」だ。タケが、お店に入っている旅行代理店の店頭のパンフレットで見つけてきた。この仕事をしていたら、なかなかお休みは取れないけれど、三日間の連休なら、なんとかなるかな、と思ったし、機会を逃したら、今度はいつチャンスがあるか分からないと思ったから。
 「香港って言えばさ」
 「何?」
 
 覚えてるかな〜、と思いつつ、聞いてみる。
 「香港甜品ってお話、覚えてる?」
 「え?」
 「ネットの……」
 「あ、あぁ、あのエロヤバな、いてっ」
 「大きな声で言わなくていいっ」
 思わず手をばしっと叩くと、タケは顔をしかめて、大げさに痛がって見せた。
 
 「あれ読んでから、なんとなく、一回来てみたいとは思ってたんだよねー」
 「マジ?」
 「なんとなく、ね」
 「まさか……そんなことを期待してるわけじゃ」
 「んなわけ、ないでしょっ!」
 だったらそもそも、タケと来ること自体が間違ってるじゃん。
 「なんとなく、街の雰囲気とかさ、食べ物とかさ……あれには化粧品のことは書いてなかったけど、香港って、化粧品なんかも、結構色々面白いって、何かで読んだし」
 「あー、まぁね。俺もこのツアー見つけたとき、まずはブランド品と化粧品のこと、考えたもんな」
 「やっぱ、ねぇ?」
 「だよ、なぁ?」
 
 休暇、なんだけど。100%仕事を離れるっていうのは、どこかに罪悪感があったりするし、そういう意味で、この街というのは、言い訳っぽいことを言いやすいというか。
 休んでても、遊びに行ってる風でも、一応仕事のことも考えてますよ、って。
 損な性分かも知れないけれど、タケも一緒みたいだから、まぁいいことにするか。
 
 「車、来ましたんで、こっち移動してくださーい」
 ガイドさんの声。
 とりあえず、楽しむことには間違いないし。
 私たちは熱い日差しの下を、マイクロバスに向かって歩いた。

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