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 3.
 
 目の前の、膳。
 黒っぽいどっしりとした座卓の上には、結構しっかりとしたメニューが並んでいる。
 「うわ、すごいねぇ」
 と思わず言ったら、シローくんが自分が誉められたみたいに
 「そうでしょう?」
 と笑って見せた。
 
 貝入りの炊き込みご飯とアラ汁、お刺身の盛合せと、野菜のおひたし、お漬物。
 海に来て食べると言ったら、カレーか焼きそばかラーメンか、なんていう貧相なイメージしかなかったので、ちょっとうれしくなってしまう。
 エアコンなんてかかっていない部屋だけど、海から吹き渡ってくる風がちょうど部屋を通り抜けていくようになっていて、その風を受けながら、海の幸一杯の食事をいただくのは、結構至福。
 
 「お漬物までおいしい」
 思わずそういったら、御飯のお代わりを勧めに来ていた民宿の方に
 「うちで漬けてるんですよ」
 と言われた。こういう生活が、まだちゃんとあるんだなと、そんなことを改めて思った。
 
 食事を終えたら、もう海に入るのは終わったし、どうするのかな、と思う。
 食事の片づけをされるのを横目に、縁側へと移動した。
 「これ、どうぞ」
 スイカを出された。――日本の夏だぁ。

 お腹も一杯になって、甘いスイカを食べて、のんびりと砂浜を眺めてたら、少し眠くなってきた。
 いけない、いけない。
 「午後から、どうしましょうか。どこか行きたいところありますか?」
 「特にないけど……」
 「ちょっと周りを歩いてみますか?」
 「うん」
 
 このまま眠いのを我慢してても仕方ないし。友達と来てれば「お昼寝しようよ」くらいは言えるけど、さすがにシローくんには言えないし。
 この部屋や、しつらい、雰囲気はお昼寝してもぜんぜんおかしくないけれど、さすがにシローくん相手にそう言うことをいうのは恥ずかしすぎる。
 そう言っている間にも、そよそよと風が吹いてきて、本当に寝てしまいそうだったので、思い切って立ち上がった。
 
 「あの岩場の向こうって、どうなってるの?」
 内容なんて、実はどうでも良かったんだけど、立ち上がったからには何か言わないと、と思って指差したのは、さっき泳いだ海岸の向こうの端、島のような、岩場のようなところ。
 「向こうは小さな浜はありますけど、他には殆ど何もないですよ。あ、でもあの上、一応登れるようになってて、小さな展望台みたいになってます」
 「展望台〜?」
 
 一見小さな岩場のようだけど、そう言えば上のほうは松みたいな木とか生えてるし。実は結構大きい?
 「じゃ、あそこ行ってみましょうか」
 シローくんもそう言って立ち上がった。
 

 今度はゴムぞうりじゃなくて、履いてきた、ちゃんとした靴で出かける。
 「あ、ちょっと待って」
 一旦引き返して、帽子を取ってきた。
 「あぁ……やっぱり気になりますか?」
 「まぁ、ちょっとだけ」
 一応日焼け止めとか塗ってるけど、それでも予防するに越したことはないだろう。
 
 玄関から、海へと回る。砂浜は人が多いので、その上を走っている道路の脇を通って渡った。
 すぐそこにあるように見えたけれど、案の定、結構距離があってびっくりした。
 
 「結構あるね」
 汗をぬぐう。近づくにつれて、せみの声が一段と聞こえてきた。
 「そうですね」
 そういうシローくんも、ちょっとだけ汗をかいていた。
 砂浜の方からは見えなかったけれど、ぐるりと回ったところには、少し階段状に木が組んであって、そこを登っていく。
 すこし登ると、風が吹いて、ちょっとだけ涼しかった。
 
 「ここからの夕日も、結構いいですよ」
 そう言われて、ちょうど西向きなことに気づいた。
 水平線が見えていて、一つ、二つと島影が見える。いいかもしれない。
 「あぁ、きれいそう」
 思わずそう呟いた。
 「今の時期は暑いですけどね。もう少し涼しくなったら、いいですよ。それとか、夜はいさり火なんかも見えますし」
 「そうなんだ」
 
 シローくんがあれこれと言ってくれているんだけど、私の心の中に、何かがふと引っかかっている。
 なんだっけ。
 「真夏は暑いですけど、さっきの浜の近くにはキャンプ場とかもありますよ」
 「へぇ」
 そうなんだ、じゃなくって。えっと、なんだろう? あぁ、もやもやする。
 
 「バーベキューセットとかも借りられるんで、お昼それでも良かったですね。もし良かったら今度」
 お昼っ! そう、お昼ごはん!!
 「お金っ!」
 「は?」
 シローくんが、がくっとこけた。え? 何? と思ったけど、……
 「お昼ごはんの、お金! それとあそこのお金」
 「え?」
 「ただな訳じゃないし、お昼代、いくら?」
 あぁ、とシローくんがすこし笑った。
 「いいですよ」
 「良くないよ」
 
 多分数百円とか、そんなわけはないと思うから。
 全額、とまでは行かなくても、出さないわけにはいかない。
 「いや、その……」
 「えっと」
 シローくんがすこし困った顔をした。
 「気持ちはうれしいけど、やっぱりそういうのはちゃんとしなきゃ」
 「いやその」
 「何?」
 
 ちょっとだけ、間があった。
 「実は、俺も知らないんです」
 「はぁ?」
 今度は私が困る番だった。
 「知らないって……」
 「会社で、まとめて払ってるんですよ。多分割引とかもあるだろうし、今までそう言う風に払ったことないんで、正確にいくら、って知らないんです」
 「はぁ」
 
 シローくんの言葉に、なんとなく分かるような分からないような、ということで、返事もどうしても間の抜けたものになる。
 「じゃ、……ホントに、……どうしよう」
 「だから、いいですって」
 「そう言うわけには、いかないよ」
 だって、それって西風軒さんに、私の海で遊んだお金が回っちゃうってことでしょ? ……シローくんがおごってくれるって言うのとは、また、さらに違う話だと思うし。
 
 って、そんなことを思ってたら、シローくんがくすっと笑った。
 「分かりました。分かりましたから」
 「え?」
 「ちゃんと深谷さん宛てに、請求書切ります。それでいいですか?」
 
 ……いや、いいけど。っていうか、請求書っていうのは冗談だと思うけど、普段の仕事の会話というか、ノリというか、その延長なんだろう。
 「本当に、今は分からないから、あとでちゃんと調べて教えますから」
 「うん、お願い」
 シローくんの声に、ちょっと苦笑しているような雰囲気を感じるのは、気のせいかな。気のせいじゃないよね。
 「そんな、必死な顔をされると、俺が悪いことしてるみたいじゃないですか」
 「そう?」
 ちょっと頬を押さえた。そんな顔、してたのかな。
 
 「今までは、そこまで気にする人、いなかったですよ。大体会社からって言ったら、そう、って言って終わりだったのに」
 今まで、の言葉にちょっとひっかかった。
 「そうなんだ」
 「あ、同級生とか、ですよ。そんなに頻繁じゃないですけど、会社は会社だから。まぁちょっとは払ってもらってたし」
 「え?」
 てっきり女性の話だと思ってたから、それを見透かされたみたいで、ちょっと恥ずかしくなった。
 
 「女の人と二人で来たのは、初めてですから」
 「そうなの?」
 「はい」
 えっと、なんかシローくんの目がこっちを見てて、思わず視線をそらす。
 「で、さっき言いかけたんですけど、また、一緒に来てもらえますか?」
 え?
 
 さっきって……あぁ、そう言えば。って、そうじゃなくて。
 「ここに?」
 小さくシローくんがため息をついたような気がした。
 「ここでも、ここじゃなくても」
 なんとなく、顔が熱くなる。それって、つきあうってこと、だよね。
 「いいよ」
 ためらわず、答えた。
 シローくんも、すこし顔が赤くなっていた。目が合うと、思わず二人で、くすっと笑ってしまった。
 
 「あー、良かった」
 シローくんがぼそっと言った。
 その言い方がなんだかおかしくて、思わず笑ったら、シローくんはちょっと照れたように、自分の髪の毛をぐしゃっとした。
 
 「あんまりダメとも思ってなかったけど、やっぱ緊張した」
 私に聞かせるでもなく、かといって独り言ってわけでもなく、シローくんが言った。
 「え、だって……」
 別に彼氏いないし、シローくんのこと、結構好きだし、一応OKって訳じゃなかったら、こんなところまで一緒に来ないと思うんだけどな。
 
 木のベンチがあって、そこに腰を下ろした。
 目の前に濃い青の海。頭上にはせみの声。ちょっとした沈黙の間にも、波の音が聞こえてきて、でもだからそれは嫌な沈黙じゃなかった。
 

 で、あの海から一週間。
 お店は盆の商戦に入って、とても、とても忙しくなる。シローくんの方も、お盆は掻き入れ時だから、臨時のバイトまで雇って、とても忙しい、って言って……そんな風に毎日が過ぎる。
 
 仕方ないんだけど。
 でも、職場でしか会えないっていうのは、どうなんだろう、とそんなことを思う。
 事務所の窓から見える山は、日増しに濃さを増していく。
 せみの声も心なしか、ちょっと変わってきたみたい。
 毎日一応メールとかしてるけど。二日か三日に一回くらいは、顔を合わせてるけど。メールはそりゃ、前はなかったから、変わったって言えば変わってるけど、これって付き合ってるって言えるのかな、って。
 
 本当に今までと何も変わらずに仕事してると、なんていうか、あれは夢だったんじゃないかなとか、そんなことまで思ってしまう。
 でも、会いたいとか言ったって、無理なのも分かってて。
 だって最初から分かってたことだし。休みが合わないことなんか。
 ましてや、今はお盆で、本当に忙しい時期で。
 
 でも、一回だけ。
 「深谷さん」
 シローくんが、わざわざ追っかけて、階段を昇ってきてくれたことがある。
 メールとか、携帯で話すときは「繭子さん」って呼んでくれるようになったけど、職場では「深谷さん」のままで、それだって仕方ないと思ってるけど、やっぱりちょっとだけ寂しいと思う。
 
 「あ、お疲れさま」
 顔を見ると、なんだか普段感じてる不安とか、そんなのも吹っ飛んじゃうくらいに、ほっとしてしまって、そんな自分が少しおかしい。
 
 「お疲れ様です」
 そう言ったシローくんが、普段とちょっと違う感じで、一瞬見上げてしまった。いつもよりも、少しだけ顔を寄せるように、シローくんが寄ってくる。
 「何?」
 ……ちょっと近い距離。ちょっとドキドキする距離。
 なんていうか、あぁ私って、かなり惚れてるな、なんてそんなことを思った。
 
 「メールでもいいかと思ったんですけど」
 「うん?」
 「9月の頭くらいに、平日に連休取れそうなんですけど、繭子さんは大丈夫?」
 小さい、小さい声だったけど、ちゃんと聞こえた。
 「うん、大丈夫、早めに教えて?」
 「いつくらいまでですか?」
 「20日くらいまでなら、大丈夫」
 「はい」
 
 そう言って笑ったシローくんの顔は、やっぱりうれしそうで、そんなシローくんを見るのは私もうれしかった。
 「どこか、行きましょうか?」
 「え」
 思わず、声が出たけど。シローくんの表情はあまり変わらなくて、一瞬ちょっとあれこれと想像してしまった自分が恥ずかしくなった。
 
 「うん、そうだね」
 そう答えたら、やっぱりシローくんはニコニコとしたままで、
 「じゃ、お盆頑張らないとなぁ」
 と言った。

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