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 1.

 「はい、リバティマート松風店、深谷(ふかや)でございます」
 「株式会社フェニックスの麻木と申しますが」
 「いつもお世話になっております」
 「リビングキッチンの中川チーフは今日はおみえでしょうか」
 「中川でございますね、少々お待ちくださいませ」
 
 壁に貼ってあるシフト表を見上げる。えっと……
 「はい、出勤しております。売り場と替わります」
 保留の、内線の……。ぴっ、ぷっ、と耳の奥でデジタル音が響く。
 
 ――――。
 「はい、リビングキッチン中川です」
 「あ、中川さん? 事務所の深谷です。フェニックスの麻木様からお電話です」
 「あ、はい」
 「お願いします」
 電話を切る。
 ふぅ。
 
 なんて思ったのもつかの間。
 「フカちゃーん、ごめん、食品レジが両替をお願いします、って言って来てるから、応援に降りてもらっていい?」
 「はーい」
 奥からチーフにそう言って頼まれた。
 チーフはさっきから、入金機と格闘している。昨晩閉店したときは何もなかったというのに、今朝立ち上げてから、調子が悪いらしい。
 昨日、入金し切れていない部門のお金を早く入れてしまいたいので、ずっとそれにかかりきりってわけ。
 まぁ、このお店も大分古いしね。
 幾分か黄ばんだ壁紙を見渡しながら、私は食品フロアへと降りた。
 

 松風店は、その名の通り松風の町にある、古くて小さい店だ。私は約1年前にここの店に異動になった。
 最初はその小ささと、古さと、古さから来る汚さにちょっとびっくりしてしまったけれど、慣れてくると、この古さと小ささが心地よく感じられてくるようになるから不思議だ。
 入社して最初に配属されたのは総角店で、リバティマートの中でも大きな方だったし、どっちかといえば新しいお店だったから、最初は何かにつけて違和感を感じていたけれど、今では応援とか出張で大きな店に行くと、なんだか味気ない気がしてしまう。
 
 店自体も小さいし、町自体も小さい。その分、なんていうか、まだまだ「昔ながらの」みたいな空気が残っていて、それが心地いいこともあったりするし。――もちろん、それが逆にイヤになることもあるけれど。
 
 「お疲れ様です」
 食品フロアに出る前、日配品のチーフと、取引先の和菓子屋さんの男の子が、立ち話をしているのが目に入った。シローくん、という名前だけは知っている。
 日配品のチーフが、よく「シロー、シロー」と言っているのを聞くから。
 和菓子屋さんは地元の老舗で、西風軒という。和菓子屋さんだけど、ちょっと洋風なお菓子も美味しかったりするし、うちのお店とは現金での取引だから、納品があるたびに、事務所へと来るので、すっかり顔を覚えてしまった。
 
 「両替行きますけどー!?」
 食品レジのところで、各レジに声をかけて回る。
 「お願いします」
 三つほどのレジから、声が上がった。
 「じゃ、行ってきます」
 両替の袋を預かって、事務所へと上がる。途中の階段で、案の定、これから事務所に向かうシローくんに出会った。
 
 「お疲れ様です」
 「あ、ちわ、毎度でーす」
 階段の途中だったから、そんなに丁寧じゃなくてもいいのに、足をとめて、こっちへとお辞儀をする。
 「暑いねぇ」
 ここのところ、挨拶はもっぱらこんなことばかり。
 まだ梅雨も明けてないけれど、本格的な夏は、もうすぐそこまで来ている。
 
 「はい、大変です」
 ちょっと日に焼けた頬を綻ばせて、彼が笑った。この笑顔がいいんだよねぇ。
 「でも、車の中は涼しいでしょ?」
 「そりゃそうですけど」
 配送で、あちこちのお店に行くっていうのは、どんな気分なんだろう、とそんなことを考える。経験ないから、わかんないなぁ。
 
 「工場も、一応エアコン効いてますけど、出たり入ったりするし、俺、若いからって、一番こき使われて、大変ですよ〜」
 冗談っぽく言った。
 「あはは、そうなんだ」
 なんとなく、そんな彼の姿が目に浮かんで、声を立てて笑ってしまった。でも、きっと、口ではそんな風に言っているけど、そんなにイヤでもなくて、頑張ってるんだろうなと思う。
 
 「あ、じゃ、ここで。中にはチーフいるから」
 両替機の前。
 「そうですか?」
 「頑張ってね」
 「ありがとうございます」
 ちょっとだけ、会釈をして、彼は事務所の方へと曲がって行った。
 

 両替を終えて、もう一回食品フロアへと降りる。配り終えた頃には、食品レジの混雑も幾分かは和らいでいるようだった。
 応援に入ることもないかな、と判断して、事務所へと戻る。今日は出勤者はチーフとの二人だけ。事務所だってヒマじゃない。
 
 「あ、お帰り。大丈夫だった?」
 「はい、もう大丈夫そうでした」
 簡単に報告して、チーフに入金業務を任せて、私は伝票の整理へと入る。
 チーフの方も、入金機は直って、入金も終わったみたいだ。
 
 「あ、これ、さっき差し入れもらったよ」
 チーフの指差す先には、どら焼きが並んでいた。
 「え?」
 「西風軒さんが、どうぞって」
 「え? さっき会ったけど、何も言ってなかったですよ?」
 「さっきって?」
 「清算に来られてた時」
 「あ、そうなの? でも、多分その後よ。清算終わった後、もう一回これ持って来られたもの」
 「そうですか」
 「日付切れてるけど、まだ大丈夫だからって」
 「ホントですか〜?」
 
 日付切れてるには笑ったけど、昨日の日付のものくらいなら、全然平気なことは知っている。っていうか、彼は時々、こうやって持ってきてくれるんだ。試食の残りとか、こんな風に、まだ食べれるけど、売るわけには行かないものとか。
 
 「シローくんは、感じいいですよねぇ」
 なんとなく、言ってしまう。チーフは一瞬首をかしげた後
 「シローくん? あぁ、そうね。次男坊」
 と言った。
 「え?」
 「え? 次男坊のことでしょ?」
 「次男なのに、なんでシローなんですかっ?」
 
 っていうか、それ以上に何、次男?
 「シャチョーの息子っ? シャチョーって、何歳ですか?」
 シローくんが来ないときに、時々来ることのある、西風軒の社長は、そんなに歳には見えなかった。せいぜい……30代後半? シローくんが次男ってことは……
 「顔、似てないし……」
 瞬間、パニクった私を見て、チーフが笑った。
 
 「違う違う。今の社長の弟よ」
 「え……?」
 「言い方悪かったかな。今の社長が長男で、その、フカちゃんの言ってるシローくんは社長の弟」
 あぁ。……あーびっくりした。でも……そうか。社長の家の子なんだ。てっきりバイトか……そうじゃなくてもそういう感じなのかな、って勝手に思ってた。
 
 「確かにあんまり顔は似ていないわよねぇ」
 チーフがのんびりとそう言った。
 「……ですよね」
 それでどうこう、というわけじゃないのは分かってる。別に驚くほどの御曹司だったとか、そういうわけでもないんだしさ。何店舗かあるとはいえ、ローカルな和菓子屋さんなんだし。
 「ここ数年かな、あの子が手伝い始めて。それまでは、ずっと、昔っからのおじいさんだったのよ」
 「そうなんですか」
 
 言われて見れば、確かに社長と同じ苗字のハンコを持っていた。でも、それは単純に「会社のハンコ」なんだと思ってた。
 なんとなく、びっくりしたような、寂しいような、……なんとも言えない気持ちが胸に広がった気がした。
 

 でもそれから、別に何が変わるでもないし、事務所で窓口やってれば、彼はフツーに来るし、……普通にしゃべって、時にはおやつの差し入れを貰ったりして、あぁ、やっぱり普通にいい子だなぁ、なんて思ってた矢先。
 
 「あ、お疲れ様です」
 売り場のレジの調子が悪い、ということで呼ばれて、それが終わって帰ってきたときのことだった。
 事務所の窓口の外。シローくんが立っていた。
 「お疲れ様です」
 なんとなく、暇をもてあましてるっぽい感じ。
 「どうしたの?」
 
 「あ、えっと、今、チーフさんに用意してもらってるところなんですけど……」
 「あぁ」
 なんとなく、足を止めた。
 「ごめんねー、そんなに時間かからないと思うんだけど」
 「ハイ」
 
 ? なんとなく、シローくんがもの言いたそうな感じで、こっちを見ている気がして、思わず首をかしげた。
 「何?」
 「あ、いえ、別に」
 なんだろう、と思う。思わずじっと見てしまったら、シローくんはちょっと視線をはずした。
 「あのー」
 「はい?」
 「こんど、その、……海でも一緒に行きませんか」
 
 え? 思わずシローくんの顔を見上げた。なんだか少し顔が赤い。っていうことは、これってお誘いってことなんだろうか。
 「いつ?」
 返事もしないうちにそれはないよな、と訊いてから思った。でも、それは実は大事だったりする。
 「え?」
 こんどはシローくんが思いもよらないことを言われた、と言う顔で、私の方を見た。
 
 「だってシローくん、日曜が休みでしょ。私は平日休みだし……いつ、行くのかなと思って」
 そうなのだ。普通に考えて、休みが合わない。ってことは、……まさか夜ってわけじゃないだろうし、いつ行くつもりだったんだろう、ってそんなことを思って。
 「え?」
 もう一度そう言って私の顔を見たシローくんの表情を見た。考えてなかったのかよ……と、思わず心の中で突っ込みを入れてしまう。
 シローくんの顔は、困り果てた子犬のように見えた。
 
 しょうがないなー。心の中で呟く。でも、実のところ、このしょうがないなー、はあきれ果てたとかじゃなくて、どこか……うれしいような、ほっとしたような、そんな気持ち。なんていうか、シローくんっぽいなっていうか。シローくんはやっぱ、シローくんだよっていうか。
 「じゃ、次のシフトまで待ってもらってもいい? どこか――盆になるまでの早めのところで、日曜に休み取るようにするから。それでいい?」
 
 私がそう言って、シローくんに反応があるまで、一呼吸、いや二呼吸くらい、あった。
 「……いいんですかっ!?」
 ぱっと顔が明るくなったかと思ったら、目を輝かせてそう言った。
 うわー。すごくかわいいかも。
 「うん、一緒に行こう?」
 とりあえず、断ろうと思って、聞いたわけじゃないし。っていうか、行きたいから聞き返したわけだし。
 「はいっ」
 ぶんっと首を振る。同い年くらいだと思ってたけど、……もっと若いのかな。そんなことをちらりと思う。まぁいいや。
 
 「じゃ、決まったら、また言うね」
 「はい……その、待ってます」
 「うん」
 ストレートだなぁ。そんなことにも感心する。でもやっぱ、嬉しいもんは嬉しい。
 
 「あのー」
 「「はいぃっ!」」
 チーフが、窓口からそっと声を掛けてきた。思わず二人して返事してしまって、慌てて
 「じゃあね」
 と言って、そこから離れて、事務所へと入った。
 

 「はぁ、若いわねぇ」
 窓口には、その後二人ほど立て続けに人が来たらしく、チーフが窓口から事務所内に戻ってきたのは5分も経ってからだった。
 「え?」
 とりあえず、私のことかなーと思いつつ、交わしてみる。
 「若いわねぇ」
 こんどははっきりと、私の顔を見て、チーフが言った。
 あはは。だって忘れてたんだもん、カメラのことなんて。
 
 実は、窓口には誰が来ているか見るための、隠しカメラがある。もちろん目的は、お金の授受があるということで、防犯目的なんだけど。声は聞こえないし、普段は録画もしていない。いざ何かあったら、3ヶ所のボタンのどれか一つで、一発録画が始まる仕組みはあるけれど。
 ただ、映像は、事務所からずっと見えている。
 さっきチーフに声を掛けられたときは、すでに窓口の窓は開いていたから、会話は途中からは筒抜けだったんだろうな。
 
 「ま、いいんじゃない?」
 思わせぶりに、チーフがうふふ、と笑った。
 「あー、でも、別に……そんなじゃないかも、知れないし……」
 どう答えろと。
 「休みは早めに組もうね」
 「……はい」
 それ以上何も言えず、私は黙って首をすくめた。

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