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 2.
 
 澪子の結婚祝いの日程は2月の最終週と決まった。
 バレンタインも終わり、春の売り場にももう変わったこの頃、お店は少し時間が出来る。澪子の実家にあいさつも兼ねて寄る時に、お祝いの席が設けられることになった。
 
 野分の店のメンバーはもちろんだが、近隣の東野分、行幸の店からも来れる人間は全部来ると言う。結局10人を超えるメンバーが揃うということだった。
 
 「え、タケとみのりも来るの?」
 「なんかね〜」
 苦笑しながらケイが答えた。あの二人が来るのなら、さぞ賑やかになることだろう。
 「他には?」
 「こっち側は、私でしょ、緋音でしょ、タケとみのりでしょ、煌乃でしょ、あ、あと阪口」
 「阪口くんって、今どこだっけ?」
 「行幸でインテやってる」
 「あ、そうなんだ」
 
 他に数名、澪子の彼の同期が来ると言うことでケイは名前を挙げたが、緋音の知っている名前はなかった。
 「そういえば、私、阪口くんとは初めてかも」
 
 「そう? あ、そうか、入れ違いくらいで行幸に行っちゃったもんね」
 「うん、えっと……半年くらいしか一緒じゃなかったからね」
 「あれ? 半年も重なってた?」
 「多分そのくらいだったと思ったけど……」
 同期入社だったから、もちろん顔と名前は知っているし、本社で会えばあいさつくらいはする。けれどゆっくり話したことはなかった。記憶の中の彼は、どちらかと言えば控えめな、でも暗いタイプでもない、穏やかなタイプだったと思う。
 
 「みのりたちと一緒に来るみたいだから、泊りだと思うよ〜。久しぶりに楽しくなりそうだね」
 ケイが、本当に楽しみで仕方ない、という風につぶやいた。
 たしかに、と緋音は思う。
 それぞれに忙しくなってきている世代、こういう機会でもなければ、集まる機会もなかなかないのが現実だった。
 


 2月の最終の水曜日、澪子の結婚お祝いパーティというなの、飲み会が行われた。
 場所は野分店からほど近い、個人でやっている居酒屋だった。結構近いにも関わらず、緋音はその店を全く知らなかったのだが、地図を片手にたどり着いたその店は、ほどよい大きさの、そしてシンプルなセンスと心地よいインテリアの、雰囲気のいい店だった。
 
 「お疲れ様〜」
 緋音が到着した時には、すでに時間を5分ほど過ぎており、緋音の到着を待ってくれていたらしかった。
 「ごめんね」
 焦って、手近な所に腰を下ろす。コートを脱ぎながら見た所、まだ二人ほど到着していないようだった。
 
 「緋音、久しぶり〜」
 みのりが、遠くから手を振る。そういえばみのりに会うのも本当に久しぶりだと緋音は思った。一番上座には、もちろん澪子が座っている。ということは、隣の少し冷たそうな顔立ちの男性がダンナさんなのだろうか。
 
 「あの人がダンナさん?」
 「そうだよ」
 思わずひそひそ声でケイに尋ねた。ケイは幹事ということで一番入口に近い方に座っている。その隣に腰を下ろした。
 「緋音、悪いけどもうちょっと寄って?」
 「あぁ、うん」
 緋音と親しい人が近くにいなかったので、ついついケイに寄ってしまったのだが、そうすると真中が空いてしまう。促されて仕方なく少し奥へと詰めた。
 
 「各務さん? だっけ? 俺は新郎の同期の瀬崎です、よろしう」
 「あ、はい」
 結果的に隣になった男性はそう名乗った。少し関西なまりのある、軽い感じの人だと緋音は思った。
 それでも、ここにいるからには同じ会社の人であり、そして新郎の同期だというからには緋音からすれば先輩社員でもある。
 少し居心地の悪さを感じたが、そうこうしている間に乾杯の音頭が取られ、宴は始まってしまった。
 
 「あ、これ美味し!」
 小鉢のあえ物に手を伸ばした緋音が思わずつぶやいた。
 「そやろ、ここ、細かな料理が美味しいねん」
 瀬崎が得意そうに言う。
 「ここ、俺のつてで決めたんや〜。ええとこやろ。各務さんももしよかったら使ってやってーな?」
 「そうなんですか?」
 「うん、俺酒売り場やからね、まぁこの手の業界には知り合い多いわ」
 「あぁ、それでなんですね〜」
 
 他愛のない世間話。とはいえ、どうにも瀬崎のペースには合わない。反対側の隣はまだ空いていた。あと誰が来るのだろう、そんなことを思ったとき、座敷のふすまが開く。
 「すみません、遅くなりました〜」
 阪口の姿があった。
 緋音は思わずほっとしてしまう。あまり話したことのない阪口ではあるが、瀬崎よりは話しやすいと思う。そんな緋音の気持ちを察したかのように、ケイが
 「阪口君、緋音の隣ね〜」
 と声を掛けてくれた。
 
 「各務さん?」
 「久しぶり」
 「ホントだねぇ」
 
 阪口は緋音の記憶よりわずかに精悍になっていたが、独特の穏やかな雰囲気は変わらない。
 「今、行幸にいるんだって?」
 「そうだよ」
 近況を報告しあう。日常では仕事の加減もあり、女性とはかなり色々な話をすることが多いものの、男性とあまり話をすることのない緋音にとって、阪口との話はそれなりに新鮮で面白かった。
 何より、気を遣わなくていいのがいい。
 
 緋音がプライベートで話をする男性と言えば道下で、普段何気なく、当たり前に話をしていたつもりの緋音だったが、実はかなり気を遣い、相手を立てて話をしていたのだなぁと今さらながらに気づき、少し愕然とした。
 先ほど瀬崎と話していて、どことなく気づまりを感じたのも、目上の男性にプライベートな場で会って、どういう距離感で話してよいのか分からないがゆえの気まずさだったと気づく。
 
 
 「各務さんって、前から話してみたいと思ってたんだけど、今日は話せてよかったな。なんかきれいだから、こう、もうちょっと話しにくいというか、そういう感じかと思ってたんだ」
 阪口からそう言われたのは、二次会へと移る道中のことだった。
 「え? ……そう?」
 
 「うん、お人形さんみたいだなぁって思ってたんだ」
 「時々、言われるけど」
 緋音は思わず苦笑する。
 この仕事に就いてから、少なくとも一番お金を掛けているのは化粧品だ。もちろんサンプルなども大量にもらえるが、仕事柄、自分の顔や肌もある意味で売り物だと思い、それなりに手間暇もお金もかけて手入れをしてきている。
 きれいと言われるのは、そういうこともあって、悪い気はしない。努力を認めてもらえた気がするのは事実だった。
 それに、もともと中性的な顔立ちをしている方で、顔の肉付きが薄いので、特にそんな風に見えるのかも知れなかった。
 
 「あれでしょ、夜中に髪が伸びる人形」
 緋音の髪は、ロングのストレートだ。
 「そんなことは言ってないよ。でもちょっと思ったけど」
 「思ったんだ」
 緋音が声を立てて笑うと、阪口は少し口をとがらせた。
 「せっかく、褒めてるのに」
 「うん、ごめん。でも正直だなぁと思って」
 ……道下なら。こんな冗談を言ったこともないし、言えば叱られそうだと思う。阪口と話していて、のびのびとした気がするということは、緋音の本音としてはこういうことを言い合える間柄が心地よい、ということなのだろうか。
 
 自分の気持ちなのに、分からなくなっている。
 道下にかわいがられる存在であることは心地よかった。お人形のようだと言われても、道下にそう言われたのなら、素直に喜べる気がしたが、阪口にそうでもないと言われたことも嬉しかった。
 
 私は、何でありたかったのだろう?
 
 その日、阪口とはメールアドレスを交換し、ドライブに連れて行ってもらう約束をして別れた。道下のことを考えなかったわけではない。しかしその瞬間、ふと、自分は道下の何なのだろうと思ってしまったのだ。
 少なくとも「彼女」と呼ばれる存在ではない。せいぜい「愛人」がいい所なのだろう。そう思ったとき、素直に緋音に好意をもってくれたらしかった阪口の誘いは、光が射したような気がしたのだ。
 
 緋音の心の中の、何かが動いた、そんな気がした。何か、かは分からないけれど、それは緋音にとって不快なものではなく、――どこかへ、――今とは違うどこかへ連れて行ってくれるもののように思えた。



 それから2週間後、緋音は約束通り、阪口とドライブに出かけた。酒の席だからかもと思えた心地よさは、昼間に会っても、普通に何も変わらなかった。そして緋音は阪口に、恋人としてつきあって欲しいと告げられた。
 
 戸惑った振りをした。本当は戸惑いではなく、ためらいだった。
 
 阪口と昼間に明るいデートをしてしまうと、道下との関係をずるずると続けていた自分が、果てしなく穢れ、汚れた存在に思えた。
 太陽の下を歩くことを、やましく思えた。
 
 道下との関係に、先行きのなさを感じたことはあったけれど、こんな風に自己否定的な思いを抱いたのは初めてだった。
 誰にも迷惑をかけていない、というのが今までの緋音の言い訳だったけれど、迷惑をかけていないというだけではいけないのだという思いが、緋音をやるせなくさせていた。
 
 「今日は、いつもと違う?」
 いつものような、道下との逢瀬のはずだった。阪口のことを思いながら抱かれても、体は普通に反応し、いつものように喜んでいる、と思ったのに、道下は何かを感じたのだろう。
 緋音は小さく息を吐く。
 「――やめようと思って」
 緋音の言葉に、道下は一瞬息を呑んだ。想像してもいなかった、という顔だった。緋音は薄く笑った。
 
 「やめられるの? 僕との関係を? こんなになじんでいるのに?」
 道下が手を伸ばす。そのいかにも緋音を知り尽くした手が、今まではそれこそを待っていた手が、今日は煩わしいものに思えた。
 「私たちには、未来が、ないでしょ」
 「必要?」
 
 「欲しいと、思えたの」
 「緋音にも、喜んでもらってると思ってたけど」
 それは間違いではなかった。けれどその「も、喜んでる」が緋音には「二人は体の喜びを分かち合うだけの関係にすぎないのだ」と聞こえた。考えすぎだと思ったが、ひとたびそう思ってしまうと、あまりにもそれは明白なことに思えて、少し泣きたくなった。
 
 「何? 緋音のことを好きだと言ってくれる男でも出来たのか?」
 「それもある」
 緋音は素直に認めた。それを言わないのはフェアでない気がした。
 「……そうか。その男の方が、いいのか? もう、やったのか」
 下世話な言い方だった。
 「まだ、つきあってもない。でも、その人だったら私は太陽の下を歩ける。道下さんは昼間に私と手をつないで、歩いてくれる?」
 「それは……無理だよ、分かってることだろう?」
 
 あまりにも予想通りの言葉で、緋音は少し可笑しくなってきた。
 「そうでしょう? 道下さんは、私にいろんなものをくれた。でも今、私が欲しいものは、道下さんからはもらえないの」
 「僕からもらえるものは、もう要らないってことか」
 「……多分」
 
 道下が小さくはっ、と息を吐いた。ため息のようでもあり、自嘲のようにも聞こえた。
 「やめられるのか? この、関係を?」
 それは明らかに「やめられないだろう?」と言外ににおわせている言い方だった。根拠のない自信に裏打ちされた高慢さを漂わせた言い方だった。
 「私、道下さんのこと、結構好きだった。でも、何かを捨てなきゃ、何も新しいものはつかめないってわかったの」
 
 心の中で、何かがぐしゃりとつぶれた音が聞こえた気がした。
 
 自信に満ち溢れた道下を、大人の男の魅力があると思っていた。けれど今目の前にいる道下は、ただの高慢な男にしか見えなかった。
 言外に、仕事の立場をちらつかせる。だがそれにも、緋音の心はもう動くことはなかった。何より、道下はメーカーの立場で、緋音は小売りの立場だった。
 
 どっちが、どっちを利用していたのだろう。
 どっちが、どっちをむさぼっていたのだろう。
 そんな想像が緋音の脳裏をちらりとかすめ、それを打ち消す。そこまで思ってしまうことは、それなりに楽しくて、それなりに満足していたはずの二人の関係まで否定することになると思った。
 
 道下と別れて、一人夜道を歩いた。
 自分で決めて選んだ道なのに、なんだか心もとなく思えた。心の中にぽっかりと空洞が開いてしまった気がしてならなかった。
 
 いつの間に、こんなに蝕まれてしまったのだろうと、そんな思いが緋音を満たしていく。道下との関係は何も得ない代わりに、何も失わないはずだったけれど、何かをなくしてしまったような気がして、仕方がない。
 
 見上げると山の端に月が沈もうとしていた。三日月。普段は美しいと思うその姿が、なんだか満月をかじられた形のように見えた。けれど、今の緋音は知っている。時が来れば、満ちてくることも、ただ光が当たっていないから欠けてみえるだけで、本当はそこにきちんと丸い形があることも。
 
 今の自分も、三日月のようなものであると信じたいと思った。
 いつか、時が来ればまた満たされることがあるのだろう。今は三日月で、足りない気がするけれど、それは心の錯覚だと。
 時のめぐりに、やがて月は満ち、輝く夜があることを。
 
 ――――― Fin.

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