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分かってる……悪気があって、言ったわけじゃないって。
どっちかと言えば、心配されてるってことも。

1.
 その日も私は憂鬱な心を抱えていた。
 昼にポロリともれた言葉を聞きとがめてしまったから。言った本人は、きっと深い意味なんてない。むしろフォローのつもりだったかもしれない。でも、指先にささった小さな棘のように、私の心にずっとずっと引っかかっていた。

「宗像チーフって、ちょっと怖いよね」

 今までだって、似たようなことを言われたことはさんざんあった。
 今さら、そう、今さらだ。そんなこと、慣れたつもりでいた、はずだった。

 ことの発端は、入って二週間くらいの新人さんが、何気なく言った一言。
「まぁ、この年まで一人だからねぇ」
 フォローを目的に、あくまでも冗談として発せられた、年配のパートのスタッフの一言。
 そしてその場の空気は張り付いたように固まってしまった。

「そうかもね」
 私も少し困ってしまって、そしてそう言った私の表情に、メンバーは戸惑いを隠さなかった。
 今までの私だったら、きっと笑い飛ばしていたであろう流れのはずだったから。

 でも、今回のこれは、どういうわけだかずしっと来た。いや、ずしっと、というよりも、ずきっと。
 そんな私の様子に気付いたみたいに、その場は静まり返って、ただ、気まずさだけが残った。
 もちろん、一番気まずそうな様子だったのは、その言葉を発した当人達だった。後からこっそりと「すみませんでした」と頭を下げに来て、私自身、むしろ悪く思ってしまったほどだった。
 こんなこと、今まで感じたことなんてなかったのに。

 自分でも理由の分からない心の変化。それが私を戸惑わせる。
 一人だと言われること。それは今更だった。もう三十前になる年齢で、いまだにこのお店に来てから……というよりも、社会人としてこの会社に入ってから、一度もいわゆる「浮いたうわさ」の一つも流れたことはない。
 何度か、いわゆる「紹介」のようなことをしてもらったこともある。でもそれはどれも実を結ばなかった。
 
 理想が高いんじゃないかといわれたこともある。でも、私の方からこの人はちょっと、と思ったことなんて、わずかしかない。ほとんどは、向こうが「乗り気にならないようだ」と、それで終わってしまっていた。
 数年前までは親もあれこれと言っていたが、最近ではあまり口も出してこない。
 振り返ってみれば、おそらくあれは仕事にのめり込んでいく娘に不安を覚えたゆえの行動だったのだと今更ながらに思う。
 
 そうなのだ。いわゆる世間のキャリアウーマンというイメージとは違うかもしれないが、それでも社員として今の会社に就職し、一つの業種の中で、スタッフ、サブチーフ、そしてチーフと上がってきて、お給料もそれなりに貰っている。
 しゃかりきになってやって来たつもりはないけれど、女性だらけの職場の中で、それなりには我を張って頑張ってきたことも事実で、その姿は外から見るとあまり男性受けしないタイプの性格に見えるであろうことはたやすく想像できた。
 
 どんなタイプの人だったら、お付き合いできるんだろうとか、そんな話は女同士だったら山のようにする。
 年上とか年下とか、営業さんとか、同じ会社の人とか。
 でも……そんなの、特に希望や理想があるわけでもないし、……言ってしまえば、こんな私でも好きになってくれる人だったら、ある意味誰でもいいんだ、本当は。
 今の私は、そんなことよりもむしろ、今のこんな私が、誰か他の人を好きになることなんて出来るのかなって、そっちの方が心配だったりする。
 

 そしてまた、今日からセールが始まる。ここの所あわただしいことが多くて、なかなか落ち着いて仕事ができていなかったけど、さらに今日のセールからはお中元コーナーも始まるし、ますます忙しくなっていく。
 着替えて、販売事務所の中に本社の応援の人の姿を見て、そんなことを考えた。
 
 お中元が始まる、ということは、そう遠くないうちにまた、お盆がやってくる、ということで…… 小さく息を吐く。毎年のこととは言え、忙しいことだ。
 
 「おはようございます」
 何人かのエプロンをつけた若い子たちとすれ違った。そして、思い出した。
 「あっ!」
 小さく呟いていきなり小走りになった私に驚いて、彼女達は思わず道をよける。
 「しまったなぁ……」
 誰に言うともなく呟きつつも、道を急いだ。バタバタと階段を駆け下り、チェッカー休憩室へと飛び込んだ。
 
 「おはようございます。……って、どうしたんですか!?」
 「今日! 研修! 忘れてた!」
 「研修?」
 怪訝そうな声が返ってくる。
 「中元! 今日から! バイト!」
 語尾に付く感嘆符に苦笑しながら、スタッフが言った。
 「珍しいですね」
 「うん、資料もコピーしてなかった」
 言っているうちに、どんどん焦ってくる。時計を見上げた。出来れば最初から遅刻なんて姿は見られたくはない。店内の誰にでも。
 
 「じゃぁ、一応午前中はよろしく」
 スケジュールを組んだ段階では、もちろん組み込んであったので、売り場は回る。レジ研修の資料の原紙をもって、私は再び階段を駆け上がった。
 
 研修を行う事務所の脇の小部屋に着いたときは、ちょうどそれらしき人たちが、人事担当につれられて入った瞬間だった。
 「おはようございます」
 最初が肝心、とばかりに声を張り上げる。
 「「おはようございます」」
 元気な声が返ってきて、それは私をほっとさせるとともに、少し高揚させた。この仕事、声を出すことが出来なければ、まずやっていくことなんて、出来はしない。
 
 「あ、宗像さん、ちょうど良かった」
 人事担当のパートさんの少しほっとしたような声がした。
 その声に少し笑って見せて、私は二人に向き直る。
 「本日、レジ研修を行わせていただきます、宗像です。よろしくお願いします」
 ややばらけて、「おねがいします」の声。それを聞いて、人事担当はそそくさと研修室を後にした。
 
 研修は、二人の様子を見ながらも、あっという間に終わった。およそ、一時間少々。
 もっとも彼らが配属されるのは中元売り場で、実のところ中元売り場と言うのはレジよりももっと沢山、複雑で、覚えなくてはならないことが山のようにあって、大変なのはそっちの方なのだ。
 まぁしっかりしている感じだったから、多分大丈夫だろう。
 心の中で、一人呟いて、私はその日の研修を終えた。
 

 その日の昼さがりのことだった。
 レジに入って、次から次へとくるお客様のレジを打つ。
 「いらっしゃいませ」
 「お疲れさまです」
 「え?」
 従業員はほぼ、知っていると思っていたが、その若い男性は……と思った瞬間気付く。朝の研修を行った二人のうちの一人だった。
 
 「あ、あぁ、お疲れさまです」
 まったく気付かなかった自分にも少し驚きつつ、目の前で人懐っこそうに笑っているその姿に幾分かの戸惑いも覚えた。
 私はどちらかと言えば、初対面の人間に、人懐っこく笑ってもらえるタイプの人間ではないと思っていたから。
 
 「もう、休憩は終わられたんですか?」
 彼が私に向かって尋ねているのだと理解するまでにも、わずかに時間がかかった。
 「え? あ、あぁ、チェッカーはシフトでまわしてしまうので……」
 だから休憩は終わったのだと彼が理解できたのかどうかは、後から考えるとはなはだ心もとない返事をしてしまった。
 「そうですか」
 あやふやなままに、客とチェッカーとしての立場を終える。
 「ありがとうございました」
 頭を下げて、次のお客様へと向き直る。
 一筋の引っ掛かりと言うか、心残りを残しつつも、私は引き続き業務を続けたのだった。
 
 午後からの休憩中、一緒に休憩に入ったスタッフの子に、尋ねられた。
 「チーフ、さっき話してたエプロンの子、誰ですか?」
 「エプロン?」
 さっき、というのが昼のことだとは思わずに、思わず尋ね返した。
 
 「なんか、喋ってたじゃないですか〜」
 幾分の揶揄を含んだような口調に、いささか呆れつつ、それでも少しばかりの照れくささを感じつつ返事をする。
 「今日、研修したバイトの子よ」
 「研修?」
 「中元の」
 「あ! あぁ!」
 突然合点がいったように返してきた彼女の口調に、思わず苦笑してしまう。
 「だから、別に特別な知り合いとか、そういうわけじゃないのよ」
 「お中元ですか〜」
 どこまで私の話を聞いているのだろうと思う。
 が、彼女の矛先はそれで納まってしまったところを見ると、欲しかった情報は得られたのだろうと思われた。
 
 そんな彼女を、いくらかまぶしく、うらやましく思う。今の私では、たとえいいなと思う男性がいても、そんな風にその男性のことを知る努力なんてしないように思えた。
 多分、一瞬いいな、と思って、それで終わりだ。いれば、の話だけれど。
 
 そんな日が来るんだろうか。そんなことを思う。
 この話題になると、どうしても暗くなってしまっていけないな、と自嘲した。
 

 そんな風に思っていたのに。彼の姿は、日増しに私の視界の中に、たびたび入ってくるようになっていた。
 基本的にチェッカーと言うのは、レジに入っている。
 売り場の人も基本的には売り場にいるけれど、それでもレジ以外の仕事もあって、売り場の中でなら、あれこれ出来るけれど、チェッカーと言うのはレジに張り付いてする仕事だ。
 だから……誰かと親密になるとき、というのは休憩とか、勤務の前後とか、そんなところに限られている、のだけれど。
 
 彼はあれから、毎日のように私のレジで昼食のお弁当を買うようになっていた。
 最初はたんなる偶然だろうと思っていた。そして次に、単純に知り合いのレジの方が気安くていいのだろうと、そんな風に思った。
 けれど今は。
 
 彼が来るのを楽しみにしている自分。自覚せざるをえなかった。
 彼の姿を、遠くからでも見分けられるようになったこと。
 彼の姿が見えると、あぁ、もうそんな時間か、と思うようになったこと。
 彼が私の入っているレジに並んだ瞬間、胸をよぎる安堵の気分。
 
 何かがあるわけじゃない。ただ、お会計を行うだけだ。単純にちょっとした……それこそ天気の話や客足の話と言った世間話をするだけだ。
 それで何かが変わったりするわけでもない。
 恋愛感情が……芽生えるわけもない。
 じゃあ、この気持ちは何なんだろう? 彼が、どうやら休みだと思ったときの、胸の内を漂う空虚感は、何なんだろう?
 

 時に、友人に「変わった」と言われることはあった。けれど私はそれを否定していた。
 だって……変わる理由がない。それに彼女たちの言葉の裏には「彼」の存在を感じ取っての幾分かの冷やかし的なニュアンスを感じないわけには行かなかった。
 
 それはそうだろう。あの年頃の男の子が、毎日のように私のレジに並ぶのだ。
 お客さんでも噂になるだろうと言うのに、ましてや彼は短期のアルバイトとは言え、従業員なのだ。
 
 「あっ、チーフ……は、知ってるか」
 「何?」
 「いえ、その……澤田くん、あと少しですねぇ」
 「え?」
 澤田くん、というのが「彼」を指しているのだと気付くまでに、少し時間があった。
 「あ、あぁ」
 知らないのだとも言えなくて、私は言葉を濁した。
 「寂しくなりますねぇ」
 彼女の言葉に思わず笑いをこぼしてしまった。彼女を始め、店内の何人かは、すでに彼とはかなり仲良くなっているはずだ。メールのやりとりなどもしていると聞いた。
 そんなこと、聞きたくなくても、女社会の情報はあっという間に駆け抜ける。寂しいと言う彼女の横顔は、それでもなんとなく恍惚とした表情に見える。
 それが恋というものなのだろうかと、ふとそんなことを考えた。
 
 そんなことを考えていたその日の帰り。
 偶然にも彼と通用口の手前で一緒になった。何度も会話をしているというのに、行き帰りに一緒になったことはなかった。
 「お疲れ様です」
 お互いに挨拶を交わす。階段を下りてきた彼も、ちょうど帰るところのようだった。そのまま、なんとなく並んで歩く。通用口を出るときも、お互いに譲り合い、そのまま歩いた。
 
 「え? 車?」
 駐車場へとむかう私と、彼の向かう方角はまったく一緒で驚いた。
 なんとなく、アルバイトさんというのは自転車、というイメージがあったからだ。根拠なんてないけれど。
 「えぇ、……あれです」
 彼の指差す先に、紺色の少しぴかぴかした軽自動車があった。
 「あ、……もしかして、新車? これ、買おうかと思ってたんだよね」
 その車を認識した途端、思わず本音がこぼれていた。今の自動車が大分あちこちが弱ってきていて、来年の春には車検が待っている。どうしようかと悩んでいた矢先だった。
 
 「そうなんですか?」
 彼も驚いた風だった。
 「俺は……ファーストカーなんで、他の車とは比べられないけど、結構これ、乗りやすいと思いますよ」
 「そうなんだ」
 そんなことを話している間にも、私たちの足はもう、彼の車のすぐそばまで来ていた。
 
 「まだ、見に行ったりとかはしてなかったんだけど」
 なんとなく、いいなと思っていた車だったが、そのデザインといい、大きさといい、近くで見てもやはり自分好みの車だった。
 「中も、見ます?」
 「え、いいの?」
 「いいですよ」
 彼が運転席のドアを開けてくれる。欲しいなと思ったときに、ネットカタログではチェックしていた内装は、思っていたよりも落ち着いた感じで、少しどきどきした。
 新車特有のにおいと、芳香剤のにおい。それからすぐそばに立つ彼のにおい。
 
 なんとなく照れくさくなって、一旦は中を覗き込んだものの、すぐに離れてしまった。
 「運転してみます?」
 「えっ? いや、いいよ、ダメダメ」
 「この駐車場の中とかなら」
 「いや、いいから」
 彼の好意はありがたいけれど、そういうわけにも行かない。自分の運転技術になんて、自信はなかった。
 でも、彼に見せてもらったことで、車への親近感とか購入意欲が一気に強くなったことは間違いなかった。
 
 「じゃあ、今度ドライブでも行きますか? 夏休み中はこっちにいるし」
 「え?」
 彼の言葉に心が止まる。一つは誘ってもらってるということ、そして……彼のアルバイトは間もなく終わるということの再確認。
 「そんな……」
 何に対しての「そんな」とは分からなかった。彼の声が続いたから。
 「メールでもしますから、アドレス教えてくださいよ」
 
 「あっ、ヘンなメールは送ったりしませんから、安心してくださいね」
 私の戸惑いに気付いたかのように彼が言った。
 そう言われてしまうと、逆に教えないのが申し訳ないような気もする。知らない人でもないのだし、車のことの流れを思えば、彼が突拍子もないことを言っているわけでもないと思う。
 結局言われるままにデータを交換しながら、社会人になってから仕事以外で男性にメールアドレスを教えるのは初めてかもしれないと思った。

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