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 5.決戦は
 
 通り雨か夕立か、と言っても、雨はまだすぐにはやみそうもなかった。窓の外に流れる水の痕と、ヘッドレスト越しに見える煌乃の表情を見ながら、和哉は人知れずため息をつく。
 さっきの告白と抱擁を、なかったことにされそうな気がした。
 煌乃からしてみれば、なんとなくそういう雰囲気になって、流されただけなのではないかと、そんな思いがよぎる。
 かといって、先程あれだけ火をつけられた挙句に完敗したことを、なかったことには出来そうにもない。和哉にしてみれば、決して意図したものではなかったけれど、反面、まったく突発的かつ衝動的だったわけでもなくて、それまで色々と溜まっていたものが、ここぞとばかりに噴出したような気がしていた。
 
 だが、店までの距離はわずかなものだった。ものの数分で野分店が見えてきて、そんな和哉の思いをよそに、車は通用口に横付けされる。さすがに照れくさいと見えて、車を降りる直前、煌乃は和哉の上着を脱いだ。
 「ありがとう」
 煌乃から手渡されたそれは、いくらかの煌乃のぬくもりと、雨のにおいを残していた。
 
 車を回してくる、と言い捨てて、チーフは二人を下ろし、車を発進させた。
 連れ立って通用口から再入店する。「お疲れ様でしたっ!!」と敬礼されて、和哉はいささか照れた。 
 荷受事務所へと入ると、おそらくはチーフがしておいてくれたのだろう、ヒーターが最大出力になっていて、中へ入ると、暑いとさえ言えるほどの暖かい空気が二人を包んだ。
 
 「藤森さん、……」
 和哉が声をかける。煌乃は振り返った。和哉のその表情に、どことは言えないまでも必死さを感じて、煌乃は知らず頬が緩んだ。
 和哉はまだ若いのだ、とそんなことを唐突に思う。若いから、その分まっすぐで正直なのだ、とそんなことを考えた。
 
 言葉を続けられずに、不安そうな顔を向ける和哉に、煌乃は口を開いた。
 「ねぇ、私、川口くんのこと、あまり知らない。今日、仕事帰りに遊びに行ってもいい?」
 一人暮らしをしていることは知っていた。どう考えても、露骨過ぎるほどの誘いの言葉だけれど、先程の和哉の必死さを思えば、その位は表してもいいか、とそんな風に思った。
 「、はいっ」
 安堵と歓喜と。分かりやすい和哉の表情に、煌乃は思わず声を立てて笑ってしまった。知らずのうちに、こんなにも和哉のことを愛しいと思える自分に気づく。間違いなく自分は和哉のことを好きだ。一旦自覚してしまうと、パズルのピースがはまった時のように、すっきりとした気分になった。



 一時間遅く、和哉が仕事を終えて通用口を出ると、煌乃はちゃんとそこで待っていた。従業員は皆、そこから退出していく。目立ったのではないだろうか、あるいは誰かに何か聞かれたりして困ったのではないか、と一瞬で様々な想像がよぎったが、そんな和哉の思いをよそに、煌乃は
 「おつかれさま〜」
と、のんびりと和哉に手を振って見せた。
 
 「すみません、もしかしてずっとここで待ってたんですか?」
 そんなことはあるまいと分かってはいたが、思わずそう口にしてしまう。吹きさらしに近いような場所だ。かなり寒かったはずだ。
 「さすがにそれはない。少し買物したりして、時間つぶしてた。来たのは今よ?」
 煌乃は左手に持った、リバティマートの買物袋を少しだけ掲げて見せた。
 「なら、良かったですけど」
 
 その会話を聞き、何人かの視線が自分に向くのを感じたが、それ以上は誰かに何かを言われたりすることもなく、煌乃が歩き出したので、和哉はそれに従った。
 一瞬自分に向けられた視線も、あまり好奇心などを感じるものではなく、それはむしろ和哉は物の数に入っていないのではないかと言うことを感じさせるような醒めた視線だった。それはそれで、寂しいようなホッとするような微妙な心持だった。
 
 煌乃の後ろを付いて歩いてしばし、煌乃が困ったような笑いをこらえているような複雑な表情で、和哉を振り返った。
 「え?」
 「……家、知らないんだけど」
 「え、あ、あぁっ」
 あわてて煌乃の隣に並んだ。煌乃はくすくすと笑い、和哉のコートの袖口をつかむ。
 すでに通用口からは大分離れていたけれど、思わず和哉は辺りを見回した。煌乃はおかしくてたまらないと言った風に和哉の表情を眺めている。
 
 「こっちです」
 と軽く視線で示して、並んで歩いた。煌乃の距離は近くて、おそらくは誰が見ても、二人は恋人に見えるだろう。そこに、戸惑いを隠せない。
 けれど煌乃はそんなことには一切頓着していないようだった。
 「あのー」
 「なぁに?」
 煌乃は楽しそうだった。それはもう、恨めしく思えるほどに。なかったことにされたら、という思いで一杯だったときは、それはそれで不安だったくせに、ここまで急接近されると、それはそれで困惑するのだから、我ながらわがままなものだと和哉は思う。
 煌乃が何をどう考えているのか分からない。ただ、少なくとも今のこの二人の主導権を握っているのは煌乃で、おそらくは煌乃の手のひらの上なのだと思った。
 
 「どこまで、押していいものか、分からないんですけど」
 考えてみれば情けない言い草だと、ちらりと思ったが、実際のところそれ以上のうまい言い方は思いつかなかった。
 煌乃は一瞬きょとんとしたものの、すぐに和哉の言いたいことを理解したようで、くすくすと笑った。
 「大丈夫よー。イヤだったらヤダって言うから」
 煌乃にしてみれば、それは実に素直な気持ちだった。そしてそれには「イヤだったらとっくに断ってるわよ」という意味まで含んでいたのだが、和哉が反応したのはそこではなかった。
 「……押して、ヤダって言われたら、傷つくんですけど」
 「あー、まぁ、そりゃそうよねぇ」
 笑いながら言う煌乃には、まったく説得力がない。
 「何、やけに弱気なのね」
 
 挑発されている、と思う。だが……誰のせいだと思ってるんだ、と和哉はひそかに心のうちで毒づいた。さぁ? とかわされたショックからは、いまだ立ち直れていない。
 「ま、でも傷つくのは私じゃないしね」
 「……アクマ」
 ぽつりともらした一声に、煌乃が目を見開いて
 「え? 私?」
 と答えた。
 他の誰がいるんだ!? と叫びだしたい気持ちを押さえ、煌乃に手を伸ばす。
 とことん、挑発にのって、玉砕するならしてしまえ、という覚悟と共に、煌乃の肩に手を回し、抱き寄せた。
 辺りはかなり暗い。わずかな街灯と民家からこぼれる明かりだけの中で、煌乃を腕の中に閉じ込めると、一瞬唇を重ねた。

 

 二人は和哉の部屋に到着した。鍵を開ける瞬間、家の中は少なからず乱雑なことを思い出し、躊躇したが、ここまで来てそんなことにこだわっている場合ではない。
 幸いにして、今は夜。
 煌乃の性格を思えば、おそらくは和哉の部屋に興味津々であることは想像に難くなかったが、それは後から考えることにしようと思った。
 
 部屋に入り、灯りをつけるまもなく、煌乃を抱き上げた。
 「えっ、やっ、何〜? ちょっと!」
 驚くというよりは、もっとはっきりと煌乃は狼狽していた。
 それを無視して、ベッドへと向かう。
 そっと煌乃を下ろすと、煌乃の瞳が和哉を見上げていた。
 
 薄闇の中で、確かめるかのように、和哉の手が煌乃の顔をそっと撫でた。
 「ダメ? イヤだったら、ヤダって言ってくださいよ。ヤダって言われなかったら、遠慮しませんよ?」
 「……、じゃ、ない、けど」
 小さな呟きが和哉の耳に届く。
 「え? 何?」
 「イヤじゃないけどっ!」
 「けど?」
 「これはちょっと……」
 性急過ぎる、という抗議なのは分かっていた。
 
 「イヤじゃないんなら、それは聞かない。大体、俺のこと、煽りに煽ったのは、藤森さんの方でしょう?」
 和哉のその言葉を聞いて、煌乃は一瞬不服そうな視線を和哉に寄越したが、それには気づかない振りをして、唇を落とした。
 
 唇をこじ開けるように、舌を絡ませる。最初は幾分硬かった煌乃の体が、ふと緩むのが分かった。髪の毛をかきあげ、指に巻きつける。
 耳元でささやいた。
 「俺は、もう我慢できない。藤森さんは? 我慢、出来るの?」
 指先でつっと首筋をたどる。煌乃の瞳はいくらか揺らいで、もうそれ以上抗議する気はないようだった。
 
 コートと、その下に来ていたジャケットを剥ぎ取り、ベッドの下へと落とす。幾重にも重ねられた衣服を、これほどに邪魔くさいと思ったことはなかった。
 煌乃は途中、少しだけ寒そうに震えたが、和哉が上着を脱いで抱きしめると、少しほっとしたように息を吐いた。
 首筋に唇を埋める。煌乃が小さく、んっ、と声を漏らした。その声は普段の煌乃から想像するよりもはるかに可愛らしく小さい声で、和哉はクスっと笑った。
 「感じやすいんだ?」
 からかうような口調に、煌乃が和哉を見上げる。その眼差しは少し潤んでいるようにも見えて、ますます和哉を煽った。
 
 「ヤバイ。可愛い」
 思わず漏れた和哉の呟きに、煌乃が首をすくめる。
 「そんなこと、ない」
 煌乃らしい物言いに、和哉はそれ以上何も言わずに、最後の下着を取り去った。
 
 二人の体温で、ベッドは大分温まっている。唇を胸のふくらみに寄せた。
 「んんっ、はっ、だめ……」
 先端を転がすように愛撫すると、か細い悲鳴がこぼれた。
 華奢な煌乃の体がよじれるたびに、そのやわらかく滑らかな肌が和哉を刺激する。脚が絡む。わずかにこすり付けられるように腰が揺れるのを、和哉は見逃さなかった。
 じっくりと攻めようと思っていた。けれど、そんな煌乃の姿を見ては、こらえられるはずもない。煌乃の腿の付け根に指を這わせると、煌乃はあたかも逃げるかのように、腰を引いた。
 
 指で追いかけ、差し込む。和哉の想像以上に、そこはすでに濡れそぼっていた。
 「やっ、あ、ぁん」
 指先で刺激すると、煌乃の腰が揺れる。
 「こんなになってたんだ」
 和哉の言葉に、煌乃は首を振った。
 「ねぇ、藤森さんも、我慢、出来なかった?」
 「や、言わないで」
 「教えて? 少しは俺のこと、欲しいと思った?」
 煌乃はそれでも首を振る。
 「そんなことっ、っあぁ……」
 いつまでも強がって見せる煌乃の口調とは裏腹に、その表情はすでに欲情にあふれて、和哉を誘っていた。
 
 煌乃の髪の毛が振り乱れる。それを掻き分けて、唇をふさいだ。うすく開いた唇は、酸素を求めるように、わずかに震えていた。
 舌を絡める。煌乃の喉が、ごくりと動く。それでもまだ、わずかに押しのけるような抵抗を感じた。
 
 「聞かない。いいね」
 すばやくゴムをつけ、煌乃の中に入り込む。ゴム越しにでもはっきりと感じる柔らかな隘路が和哉を締め付けた。
 「やっ、だめっ」
 「聞かないって」
 ゆっくりと出し入れを繰り返すと、煌乃が和哉の肩にしがみついた。肩に食い込む指の感触に、煌乃が和哉をしっかりと受け止めているのを感じる。
 「やだ、おかしくなっちゃう」
 「いいよ」
 「あぁっ、い、いや、もうっ……!」
 のけぞる首。
 声にならない悲鳴。
 煌乃の体がしなる。そんな煌乃の体を押さえつけて、和哉は自身を解き放った。
 
 終わってからも、和哉は自らを引き離そうとはしなかった。時折びくりと震える中の感触を感じつつも、煌乃の呼吸が回復するのを待った。
 「やっ、離して……」
 幾分かの恥じらいと共に煌乃が呟いたが、和哉はそれを聞こうとはしなかった。
 「もう、だめだってば」
 煌乃の腕が押しやるように和哉の胸を押した。さすがにそれ以上の無理強いも出来ず、和哉は煌乃の中から抜け出した。
 隙をついて、わずかに逃げ出すようなそぶりを見せた煌乃を、しっかりと捕まえる。
 「え、やだ、何……」
 「俺のことを、もっと知ってくれるんでしょう?」
 このまま帰すつもりは、毛頭なかった。
 「え、でも」
 「やり逃げ?」
 「っ、ばかっ」
 
 あまりの言葉に、煌乃が固まる。
 「まだ、時間はたっぷりありますから。夜はこれからでしょう?」
 揶揄するような和哉の口調に、煌乃が口をぱくぱくさせている。
 そんな煌乃から出てきた言葉は
 「やだ、スケベっ! ヘンタイっ」
 だった。
 「ひでー」
 煌乃の言葉に、思わず和哉は笑ってしまう。まるで小学生の罵り言葉のようだと思った。
 何を言われても動じないで笑っている和哉に、煌乃はますますヒートアップしている。このままでは何を言い出すか分からない。とりあえず、それ以上ひどいことを言わせないように、和哉は煌乃の唇をふさいだ。

 

 それから、数週間が経った後のことだった。無事新年を迎え、店は少し暇になっていた。
 いつものように、一仕事終えて、休憩所でタバコをふかしていた物流チーフの前に、設備のチーフが通りかかった。
 物流チーフの姿を見て、足を留める。
 連れの人間に一言二言言って、彼のそばへと寄ってきた。
 
 「おう、お疲れ」
 二人は同期入社で、この店に来てからはまだ、三年程度の付き合いしかないが、それなりに気心の知れた間柄であった。
 
 「なぁ、藤森ちゃん、新人君に食われたってホント?」
 「はぁ?」
 物流チーフにとっては、寝耳に水だった。しかし、そう言われて見れば、思い当たる節がないでもない。
 「そうなのか?」
 「ちくしょー、マジかよ」
 設備チーフの悔しがり方に、物流チーフは怪訝な表情を浮かべた。
 設備チーフは彼より4つ下で、たしかに独身ではあるが……
 「なんだ、狙ってたのか?」
 それはそれで、おそらくは誰も本気では想像しなかったであろう組み合わせに思えた。
 「ちらっと、そんなこと、聞いたんだけど。まさか新人君に持っていかれるとは……」
 その声は、かなり本気の恨み言めいていて、その様子に苦笑してしまう。
 
 「あのなー、新人君って言うけど、川口、もう3ヶ月経つんだけど」
 「ちぇっ、あんなやつ、新人君で十分だ。ちくしょう、あんなに色々面倒見てやったのに」
 八つ当たりともいえるその言葉に、いささか引っかかりを感じないでもない。
 「どっちかと言えば、設備の方が世話になってたんじゃないかと思うけど?」
 CADとかさぁ、と言い足して、設備チーフの顔を眺める。
 「大体、部下同士でくっついて、そんなの放っておくか? 普通」
 「俺は二人の味方だもん」
 知らなかったことはさておき。
 物流チーフの言葉に、彼は自分の味方ではないと気づいて、設備チーフは少し拗ねたように唇を尖らせた。
 「それに、あっちの方がお似合いだと思うけど?」
 「分かってっから、余計に悔しいんだよっ」
 
 「なんだ、分かってるのか」
 「うるせーよ」
 
 年は明けたとは言え、本格的な寒さはまだこれからだ。
 「寒い冬だなぁ」
 思わずぼやいた設備チーフをあはは、と笑って、物流チーフは立ち上がった。
 「ま、春はすぐそこさ」
 「分かったようなこと、言うんじゃねぇ」
 設備チーフが、手に持っていた空の紙コップを投げつけるようなまねをした。
 空には冬の青空が広がっていた。
 
 ―――――― Fin.

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