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 2.偶然か、必然か
 
 和哉が入社してきてから、物流の仕事は明らかに楽になり、煌乃もまた、余裕を持って仕事を行なえるようになっていた。
 何よりも、今まで他に人がいなかったときには煌乃が一人で行っていた、倉庫の整理整頓や清掃と言った、いわゆる力仕事をまかなってくれる要員が増えた、ということは煌乃にとってもかなり嬉しいことだった。
 
 その日も、二人は午後から倉庫の整理を行っていた。
 まもなく年末のセールが始まろうとしている。年末の次は新年で、新年と言えば福袋。メーカーから入ってくる商品をそのまま値札だけつけて店頭に出す部門が大半だが、それらの商品は、メーカーの都合でクリスマスが終わってすぐ、まだ年末のセールがようやくはじまった頃には入荷してしまうのだ。
 そのため、それでなくても年末に膨らむ在庫は、この福袋まで入って大変な量になる。一年のうち、もっとも倉庫に物が詰まった状態になるのが常だった。
 その上、二人の働く野分店では、店オリジナルの福袋が、毎年人気を集めている。食品とファッションからそれぞれ200個ずつの限定で出るのだが、これは店の要員が、手で詰めていく。その作業も、この倉庫で行われるため、その場所を確保しておく必要があった。
 
 「なんでこんなに何でもかんでも積み上げるんですかー!?」
 埃にまみれながら、和哉がわざとらしい鼻声で煌乃に問いかけた。
 「しょうがないじゃない、人がいなかったんだから。それでも溜まっていくのよ」
 「捨てればいいじゃないですか」
 「バカ言ってるんじゃないわよ、それは三年、そっちは五年、保管しておく義務があるから、そこに積んであるんじゃない」
 「え? これがですか?」
 一見ただのダンボールに詰め込まれた書類だが、実際には各種の伝票や領収証の控え、帳票などお金の出入りに関するものが殆どだ。
 「本当はきちんと整理して、こまめに期間が過ぎたら捨てて、こんなに埃だらけになる前になんとかしたかったけど、人がいなかったの!」
 
 つっけんどんに、人がいなかったことを強調する。
 「はいはい。もうー、人使いが荒いんだから」
 和哉はそう言いつつも、煌乃に指示されたように段ボール箱を積みなおしていく。
 やっぱり男の人は違うなぁ、と煌乃はそんな和哉の様子を眺めていた。もっとも、性別の違いだけではなく、年齢の違いもあるのかもしれないけれど。
 
 煌乃から見て、最初和哉は二十七、八は行っている――それは煌乃とほぼ同年齢と言う意味で――と思っていたのだが、実際のところは二十四だという。専門学校を卒業して前の会社に三年と少し、それから職業訓練校を経てリバティマートに中途採用となった、ということだった。
 当初は遠慮がちに、丁寧に面倒を見ていた煌乃だったが、和哉はの性格は一見した所より人懐っこい部分もあり、経験も年齢も上の煌乃に何かと尋ねてくるし、実際二人で一緒にいる時間もかなり多い。
 ほんの十日もたたないうちに、すっかり煌乃はお姉さん役にはまってしまっていた。
 しかしそんな煌乃の振る舞いを嫌がる風でもなく、むしろその関係には和哉も居心地の良さを感じているような節がある気がするのだった。

 

 「今日はこのくらいまでにしておこうか」
 煌乃は和哉に声をかけた。
 時間はもう、四時前になろうとしていた。普段であれば三時を回った頃に一回休憩を取るのだが、その日はタイミングを逃していた。
 
 「藤森さん、カップ」
 荷受室に戻るなり、和哉が開口一番そう言った。
 すっかり自分の役割だと心得ているのか、あるいは元々そう言うことに抵抗がない性質なのか、和哉はこのお茶の時間にコーヒーを淹れるのは、自分だと思っているようだった。
 
 煌乃は机の引き出しの中から、ティータオルに包まれた自分のマグカップを出した。
 和哉がそれを受け取り、小さなサーバーの前に並べる。
 和哉のマグカップと、煌乃のマグカップと。その二つが並んでいるのを見るたびに、煌乃はなんとも言えない微妙な気持ちになる。
 その二つのカップは、お揃いだった。
 
 もちろん、偶然だった。偶然である以上、煌乃が微妙な思いをする必要はどこにもないといえばないのだが……
 最初、このお茶の時間を説明しつつ、煌乃は和哉にコーヒーを淹れた。
 初日ということで、もちろん和哉のカップはない。その為客人用のカップに淹れて、何気に自分のカップにも注ぎ……その時、和哉が言ったのだ。
 「藤森さんのカップ、おそろいだ」
 と。
 一瞬何のことだか分からなかった。きょとんとした煌乃に
 「藤森さんのと同じカップ、俺も持ってますよ」
 と和哉は言った。
 そのカップは珍しいものではなく、最近店の近くに出来た大手のコーヒーショップのオリジナルのものだった。
 それゆえに、もちろん、同じカップを持っている人間は、この店の従業員にも、あるいは顧客にいても何の不思議もない。その程度の話なのだが。
 
 翌日和哉は
 「ほら、一緒でしょう? 趣味、合いますね」
 と何食わぬ顔で微妙に色だけが違う自分のマグカップを持ってきて、それ以来二人のカップはおそろいのままだった。
 
 嫌なわけではない。誤解されて困るわけでもないし、そもそも偶然であることはその場にいたチーフも知っており、チーフが知っている以上、このカップがおそろいであることは他の人間は知るはずもなく、煌乃が困惑する必要など、どこにもないのだ。
 それなのに。
 煌乃はその日もまた、おそろいのマグカップを見て、かすかに視線をそらせ、わずかにため息を吐き、コーヒーを飲んだのだった。

 

 一方、和哉は湯気の向こうに、先ほどまでとは別人のような煌乃の姿をぼんやりと眺めていた。
 別人のよう、と言えば煌乃は怒るかもしれない。けれど、和哉はそれ以外、うまい表現が見つからなかった。
 
 煌乃との初対面は、この荷受室に連れてこられた時だと思っていた。
 実際にはその朝、従業員駐車場で会っていたのだが、それは和哉の記憶にはまったくなかった。言われて見ればそのようなこともあったかな、という程度だった。
 けれど、荷受室での第一印象、そしてその後、テキパキと和哉に指示を出し、あるいはこまごまと色々なことを教えてくれる様子、そういったものと、目の前でぼんやりと湯気を眺めている煌乃は、どうにもイメージが違っていて、そこが和哉の好奇心を掻きたてる。
 
 実際の煌乃は、仕事で見せている顔とはまた違った一面を持っているのではないだろうかと、ふと思いついてしまってからは、どうにも煌乃の表情の一つ一つが気になるようになってしまった。
 本当はもっとおっとりした性格なのではないか、と尋ねてみようかと思ったことはある。しかし煌乃にそれを聞くのは失礼かもしれない、と思いとどまった。本人が自覚しているかどうかも分からないし、たとえそういう性格だったとしても、自分自身でそれを好きかどうかも分からない。
 まだ知り合って間もない異性に「実はこういう人じゃないですか」と尋ねられるのは、自身に立場を置き換えてみても、そんなに心地いいものではないこととくらいは簡単に想像がついた。
 結局、そのことは和哉のささやかな疑問として、胸のうちにとどまっているのだ。
 
 先程の倉庫でのことをふと思い出す。
 ダンボールを積み上げてあるのは、先代の物流チーフがDIYショップで買ってきて手作りをしたという頑丈な棚だ。それは背丈を越すほどのかなり大きなもので、そして……一部すでにゆがみ始めていた。
 
 そこにダンボールをはめようとしていた和哉は、そのゆがみに気づいておらず、四苦八苦していたのだが、その時、煌乃の手が、和哉の手を押さえた。
 「もうっ、不器用なんだから。ここ!」
 手首を掴み、ダンボールの角を持ち直させ、その上からぐいっと押された。
 「いてっ、藤森さん、痛い」
 別にそこまで痛かったわけではないが、つい反射的に言ってしまった。
 「え?」
 煌乃が「痛い」の声に反射的に手を離す。
 あろうことか、すでに十分バランスをくずしていたダンボールは、和哉の顔面めがけて落ちてきたのだった。
 
 「うわっ」
 「ああっ」
 もちろんそれをよけられない和哉ではなかったが、煌乃に当てるわけにも行かない。慌てて支えたのだが、結局は支えきれず、そのダンボールを突き飛ばすように投げて、煌乃と自分の顔面をかばった。
 
 バサッと中身をぶちまけて段ボール箱が広がるのと、和哉の手に激痛が走ったのは殆ど同時だった。
 「ってぇっ!」
 今度は本気の痛みだった。
 煌乃もその口調の違いに気づいたらしく、あわてて和哉の手元を覗き込んだ。
 「大丈夫? ごめん、私が手を離したから……」
 
 今にも泣きそうな顔だった。そもそも和哉が冗談で痛いと言ったのが悪いのだが、煌乃はそれ以上に自分をかばってくれたことを気にしているようだ。
 
 「いや、藤森さんは悪くないし……」
 痛みはあるものの、怪我と言うほどの怪我はしていない。和哉は気にしないよう言外ににじませて煌乃から体を引いた。
 けれど、煌乃はまだ心配している。
 「大丈夫? ……折れてはないよね? 捻挫とかも……」
 煌乃の指が、和哉の手を取って、心配そうに撫でている。細い指が、ゆっくりと和哉の手の上を動いていた。
 その様子は、和哉にふと、いたずら心を起こさせるのに十分だった。
 
 「いや、大丈夫ですから」
 一旦はそう言ったものの、煌乃の目は心配そうに和哉を見上げていた。手はそのままだ。

 煌乃は自覚していなかったのではないかと思うのだが、実は和哉は二度、煌乃に頭を撫でられている。何の時だったかは定かではないが、初めてふいに頭を撫でられた時の衝撃は、小さなものではなかった。
 それはまるで、小さい子供か犬でも撫でるようなしぐさではあったのだけれど。
 
 その時にも、なんていうか、無防備だなー、と和哉は思っていたのだが、ここに来て、それは無防備と言うよりも和哉に対しての親愛の情の表現なのかも知れない、と思いついたのだった。

 「あのー」
 「え?」
 「そんなに俺に触りたいんですか」
 
 煌乃の顔が一瞬にして真っ赤になった。そこまでかわいらしい反応が見られるとは思っていなかったので、今度は和哉が慌てた。
 「あ、いえ」
 
 「ば、ばか、何言ってんのよー」
 煌乃が、はじかれたように手を離した。しかし、手を離したのがあまりにも急に跳ね除けたので、それはまずいと一瞬のうちに思ったらしい。
 「もう、大丈夫なら、働きなさいよね」
 ぐい、と和哉の腕を押す。
 それは動揺した自分の顔を見られまいとするかのようでもあり、和哉は思わず笑った。
 
 「笑ってるんじゃないわよ」
 顔は赤いままで、そんな風にいう煌乃を見たら、それ以上つっこみを入れるのもなんとなく申し訳ない気がして、和哉は「はいはい」と言って仕事に戻ったのだった。
 
 思い出せば、思わず頬が緩む。それをさせまいと、慌てて顔に力を入れた。
 煌乃は少しばかり訝しげな顔で和哉の方を見ている。
 和哉はゆっくりと視線を机の上の伝票へと落とした。

 

 「新人君、いるか!?」
 二人の静かな休憩に、突如割って入ったのは、設備のチーフだった。店内の各種電気水道系統や、それ以外の什器、防災関係の仕事を担当している。
 
 「はい?」
 和哉が顔を上げると同時に立ち上がった。
 「ちょっと教えてくれんか?」
 「何でしょう?」
 「CAD」
 「……俺もほとんど知らないって言ってるのに」
 「まぁ、見るだけ見てくれよ」
 「えー、いいですけど」
 和哉が煌乃を振り返った。
 「いいわよ、大丈夫」
 和哉が煌乃に問いかける前に煌乃は笑顔で答える。
 「すみません」
 
 「藤森ちゃん、すまんな」
 口ばかりでそう言って、設備チーフが和哉を連れて荷受事務所を出て行った。
 
 いつまで彼は「新人君」なんだろう、と思いながら煌乃はその姿を見送る。
 和哉がCADを使えるというのは、誰もの想像外だったが、聞けば職業訓練校で扱ったということだった。
 普段の煌乃たちの生活や仕事にはまったく関係のないその製図ソフトを、タイミングがいいのか悪いのか、設備の部門で最近使わないといけない状況が発生し、たまたま和哉が少しは分かると言うので、時々こうやって引っ張っていかれるている。
 煌乃は見たこともないそのソフトのおかげで、和哉は設備のメンバーとも通常よりはるかに早く打ち解けているようだった。
 
 物流と設備は、場所柄あるいは仕事柄、一緒に仕事をする機会も多い。
 和哉がそういう形で設備の仕事に触れるのも悪いことではない、と煌乃は自分に言い聞かせる。
 けれど、その度にどこかちょっと寂しいような、置いてかれたような気分になるのも否めなかった。
 
 手元のマグカップには、すでにぬるくなったコーヒーが二センチメートルばかり残っている。それを飲み干した。
 首を伸ばして和哉の机を覗き込む。すでに空になっている和哉のマグを手に取った。それは煌乃の想像とは裏腹に、まだわずかにぬくもりを残していた。
 一瞬、和哉の手の暖かさを想像する。時に触れる彼の手は、いつも暖かい。そしてそんな想像をしてしまう自分に恥ずかしくなり、煌乃はバタンと席を立ったのだった。

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