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 1.出会いは早朝
 
 煌乃(あきの)の朝は早い。
 特に、大きなセールがある時などは早い。その日も、普段より二時間早い出勤時間となって、眠たい目をこすりつつも、出勤してきたところだった。
 
 「あれ?」
 たった一人の車の中で、思わず声が出た。従業員駐車場。まだ時間的には普通の従業員は出勤してきていないはずだったが、見覚えのない車が一台、入り口近くに停まっていた。
 時々、近くの飲食店や遊戯施設の従業員が、契約もしていないのに駐車していることがあり、トラブルになっているのは知っていたが、それにしても時間が早い。
 それに、その車が停まっているのは、たしか契約者のいないスペースだったはずだ。
 さして実害はないと判断して、煌乃は自分のスペースに車を入れた。
 
 駐車場から出るとき、その車からそう遠くないところを通る。
 中には若そうな男性の姿が見えた。なるべく見ないようにはしようと思うものの、なんとなく気になってそちらに目を向けたとき、その男性と目が合った。
 一瞬しまった、とは思ったものの、それは顔には出せない。とは言え、さほどガラが悪いようには見えなかった。ちょっとほっとした。
 その男性は煌乃に、少し会釈でもするかのように、軽く頭を下げた。
 
 駐車場からはおよそ5分ほどで、店へと到着する。煌乃は野分店の「管理部物流システム」所属スタッフだ。店内では略して物流とだけ呼ばれる。
 主な仕事としては、入荷してきた商品の荷受(にうけ)と商品のPOSレジシステムへの登録業務がある。どちらもセールの時にはかなり忙しくなるものの、逆にそれ以外では比較的マイペースに仕事は進む。
 
 「おぅ、おはよう!」
 すでにチーフは到着しており、出社してきた煌乃を見て声をかけた。
 相変わらず、早いなぁとそんなことを思いながら、女子ロッカーへと向かう。制服に着替えてタイムカードを押すと、即座に荷受事務所へと向かった。
 
 「藤森、こっちの登録、やってしまって」
 煌乃の姿を見て、チーフがそう言った。ホッチキスで留められた紙の束を、半ば投げるように寄越す。
 「? どこですか!? 昨日出しておいてって言ってたのに」
 「肉屋」
 「もう〜っ」
 
 顔だけは怒って見せて、煌乃はPOSの端末へと向かった。どの部門も忙しいのは分かっている。
 「ちゃんと叱っておいてもらいました?」
 「あー」
 チーフは生返事を返す。
 「だめですよ、ちゃんと言わないと」
 「そうだけどなぁ」
 そこへ、また新たな取引業者がやってくる。
 「検品お願いします」
 「はいよ」
 煌乃の怒りの矛先から逃げられる、とばかりにチーフはいそいそと立ち上がって、荷受事務所を出て行った。
 
 とりあえず、チラシを見ながら商品の特売価格を登録していく。
 部門から提出されたリストとは言え、時には間違っていることもあるし、それに気付かないまま登録すれば、それは物流のミスになってしまう。
 カタカタと、煌乃がキーボードを叩く音だけが、荷受室に響いた。



 それから十五分。もう一人のメンバー、パートタイマーの河崎が出勤してくる。
 開口一番
 「チーフ、知りませんか?」
 と煌乃に聞いた。
 「え、……荷受してるけど。何?」
 「人事チーフが探していましたよ」
 「人事?」
 
 煌乃は怪訝そうに眉をしかめ、首をかしげた。セールの初日、この忙しい時に、人事から一体なんの話があるというのだろう、と思う。
 「じゃ、ちょっと替わって来ますね。いいですか?」
 「お願いします」
 河崎を横目で見送りつつ、煌乃は入力業務に戻った。
 
 チーフが戻ってきたのは、それから二十分も経ってからのことだった。
 「あぁ、もうこの忙しいのにっ」
 想像していた通りの反応に、煌乃は思わず笑ってしまう。
 「何だったんですか?」
 「いやぁ、それ自体はいいんだけど、よりにもよって、こんな日につれてこられてもなぁ……」
 「え?」
 「欠員の募集してたんだけど、一応採用決まって、で、今日からって」
 「今日からぁ?」
 思わず煌乃も声が高くなる。
 
 「こんな日につれてこられても、仕事教えるどころじゃないしさ、仕方ないから今日は別の所の応援に入ってもらうように言ってきた」
 チーフが苦笑いして、そう言った。
 「ですよねぇ」
 煌乃はふと、朝、駐車場で見た男性のことを思い出した。
 あの時間に、従業員駐車場にいた、ということは、もしかしてあの男性だったのかもしれない。あらかじめ知っておいたなら、もうちょっとちゃんと見て、ちゃんと挨拶をするんだった、と思った。

 

 それでも、開店前にはなんとか予定の登録業務は全部終えて、煌乃は一息ついた。
 と言っても、休むまもなく、次から次へと、取引先は商品を持ってくる。開店前に入荷して、陳列まで終わっているのが理想だが、開店時間自体が一時間早いため、全部の取引先がそれに対応しているわけではないのが現状だった。
 それでなくても、セールということで、商品の入荷量は多い。入荷とその他の仕事が一段落つくころには、新しく入ってくる要員のことなど、煌乃の頭からはすっかり抜け落ちていた。
 
 それをふと思い出したのは――というよりも、思い出さされたのは、昼休憩の時のことだった。
 煌乃は通常の休憩室ではなく、食品チェッカーの休憩室を利用することが多い。
 本来はチェッカーの休憩室は、チェッカーのみが利用することになっているのだが、煌乃は仕事の都合上、ここに出入りすることも多いし、通常の休憩室は三階にあり、階段の上り下りも億劫なので、なんとなく、チェッカー休憩室に入り浸るようになってしまったのだ。
 そして、昼休憩時のそこは、にぎやかだった。
 
 「今日のあの人、見た!?」
 「見た見た、誰だろうねぇ……どこへ行くのかな」
 「ちょっと格好よかったよね」
 
 「何?」
 煌乃は尋ねた。
 「今日、新人さんみたいな人、入ってたの」
 「え? あー、多分それ、うちだわ……」
 「ええっ!?」
 
 一斉に不服そうな顔が、煌乃を振り返る。
 「なんで物流よー」
 「元々欠員だったもの」
 忘れてるかもしれないけど、と小さく煌乃は付け加えた。
 「でもー」
 「ずるい」
 
 「ずるいって、そんな……」
 煌乃は苦笑する。
 「だって、物流ばっかり」
 食品チェッカーにも、数人の男性スタッフはいるが、彼女達にとって見れば、その男性スタッフよりも、新人の男性の方がよく見えたのだろう。
 「それにチーフもいるし」
 
 物流のチーフは、人妻ならぬ人夫だが、その気さくな人柄と、一見その年齢には見えないいでたちで、食品チェッカーにはもちろん、店内でもそこそこ人気があることは、煌乃も知っていた。
 「ま、でもそうじゃないかな、ってだけで、その人かどうか、分からないじゃない」
 「そうなの?」
 「うん、今日入ったとは聞いたけど、まだ顔見てないし」
 「そんな、今日一日で二人も三人も入ったりしないでしょ」
 「わからないよ?」
 煌乃はそう言って、とりあえず話にけりをつけた。

 

 午後は朝に比べれば、仕事は格段に楽になる。その一方で、店全体の客数は増えてくるので、煌乃は様子を見ながら売場に応援に出た。
 
 食品のレジを横目に、サービスカウンターへと回る。お客様からの発送の依頼があった商品は、煌乃たちの物流部門の管轄だ。
 荷造りまではサービスカウンターの要員が行うが、その先の回収から出荷までは物流の仕事になる。
 「お疲れ様です。荷物あります?」
 カウンターの中に、声をかけた。
 「いくつかありますよー」
 比較的のんびりとした声が返ってきた。そこまで忙しくもないらしい。
 「どこ?」
 「そのパーテーションの後ろに積んであります」
 
 のぞき込むとすでに台車に乗せられた段ボール箱が数個。
 「これ、借りていっていい?」
 「どうぞー」
 言葉に甘えて、台車ごとガラガラと引きずり出した。
 「上の二つは果物なので、気をつけて」
 「これ?」
 「そう」
 取り扱い注意のシールが貼ってあるのを確認して、煌乃は台車を押した。
 
 セール期間中はサービスカウンターの隣に、手荷物預かりのカウンターを出している。そのカウンターの中に、見慣れた顔に混じって、今朝、従業員駐車場で見た顔があるのを、煌乃は見逃さなかった。
 やはり、食品チェッカーが言っていたのは、この男性のことだったのだと思う。
 朝はあまりよく見なかったので気づかなかったのだが、ちょっときつそうな、でもすずやかな顔立ちを、セルフレームのめがねが少し和らげている。
 身長はさほど高くないが、全体的にはすらっとした印象を与えた。
 なるほどね、と煌乃は心の中で納得する。チーフとは違うタイプだが、それなりに人気の出そうなタイプだと思った。
 ――もっとも、仕事が出来るかどうかは、全く別の話で、仕事が出来てくれないことには煌乃にとってはなんのメリットもないのだが。
 
 荷物を出荷棚に置いて、台車をサービスカウンターに返しに行く。
 帰り道に、ミーティングと言うことで出ていたチーフが帰ってきたところに一緒になった。
 「四時に荷受室に居てもらえるか?」
 「はい、四時? 何かあるんですか?」
 「あぁ、顔合わせ」
 
 ちょうど顔を見てきた彼のことだろう。
 「さっき、手荷物カウンターにいた人ですよね」
 「? そうか? 俺はどこにいるか知らないけど、そうかな」
 「メガネかけた、若い男の人」
 「あー、それだわ、多分」
 「チェッカーさんとか、さっそく話題になってましたよ」
 「あはは、上でも何人か、話題にしてたなー」
 
 一応大型店に入るこの店でも、新人と言うのはそれなりに目立つ。若い女の子が私服勤務の売り場に入った場合には、テナントなどにも多いので、さほど目立つこともないが、若い男性でスーツで、となるとめったにいない。
 話題になるのも当然だった。

 

 午後四時。河崎はもう帰ってしまって、煌乃は一人で荷受室で待っていた。四時と言ったのはチーフなのに、まだ姿は見えない。
 
 「失礼しまーす」
 人事のチーフが、件の男性を伴って現れたのが先で、煌乃は思わず焦った。
 「すみません、チーフ、まだ帰ってきてなくて」
 という声が聞こえたのかどうか。
 「すまん、遅くなった」
 という声と共に、チーフが戻ってきた。
 例の男性は、物珍しそうに部屋の中を眺めていた。
 
 「川口君、一応中途採用って形になっているから」
 人事チーフがそう言って紹介する。
 「川口和哉です、よろしくお願いします」
 ぺこりと頭を下げた。
 
 「今日、どうするんだ? この後」
 「どっちでも、物流さんにお任せしますよ」
 「どっちでもってもなぁ」
 「まだ、立て込んでいますか?」
 「いや、そんなことはないけど」
 「手荷物預かりは、もう終わるんで……」
 言外に『引き取ってくれ』という気配をにじませて、人事チーフが言った。
 
 「ま、じゃあ、ぼちぼちな」
 チーフがそう言うと、人事チーフはほっとしたように、
 「じゃ」
 と、そそくさと出て行ってしまった。
 
 なんだかお荷物みたいな扱いは、あんまりじゃないか、と煌乃はちらりと思ったが、当の本人はあまり気にしていないようで、それにほっとした。
 「藤森、自己紹介」
 チーフが煌乃に言った。
 「あ、すみません、物流スタッフの藤森です」
 「はい、よろしくお願いします」
 
 「とりあえず、忙しい部門だから、たちまち覚えてもらわないといけないことも多いんで、こっちの中は、藤森に、外は俺がって感じで教えるから」
 中というのは、荷受室の中の業務のこと、すなわちPOS関係の登録とか、伝票の関係で、外と言うのは、荷受室の外の、平たく言えば肉体労働中心の荷受業務であるとか、倉庫の整理などを指していた。
 その微妙な言い回しに、和哉はすこしきょとんとして、何か言いたそうな顔をしたのだが、チーフはそれには気づかず、話を続けた。
 そんな二人の様子を見ながら、煌乃は少しは体力的には楽になるかな、とのんきなことを考えていた。
 
 「じゃ、とりあえず、藤森、よろしく」
 突然に話が煌乃に返ってきて、煌乃は驚いた。
 「え?」
 「今日教えられることから、さっそく教えてやってくれ、ってお前、人の話聞いていなかったのか?」
 「すみません、でも」
 「なんだ?」
 
 「今日って言っても……」
 「何もないか? 直接の業務じゃなくても、まず、その前から教えてあげないといけないだろう?」
 「……それも私ですか?」
 「俺はミーティング」
 「……」
 
 なんでこんな日に、ミーティングばかりなのだろう、と煌乃はちらりと思ったが、そんな煌乃の様子を見て
 「歳暮」
 とチーフが一言、言った。
 
 「歳暮?」
 思わず煌乃は聞き返した。
 「もう?」
 
 「もうって、お前、それこそもう十月だぞ? 遅いくらいじゃないか」
 「……そうですね」
 実際の展開は、十一月からだが、その準備としては確かに早いとも言えない。毎年、どうしてもぎりぎりになってバタバタするので、遅いよりは早い方がいいか、と煌乃は思い直した。

 

 荷受室には欠員分の机がすでに長いこと放置されていたので、そこを和哉の席として、さっそく各種のレクチャーに入った。
 「川口さんは、こういう仕事の経験があるんですか?」
 「えっと、あるような、ないような」
 その要領を得ない答えに煌乃は思わず声を立てて笑った。煌乃の笑顔に思わず和哉もつられたように笑った。
 一気に場の緊張が緩む。
 「いや、ホントに」
 和哉は少し困ったように、煌乃の笑い顔を眺めながら続けた。
 和哉の説明によれば、リバティマートに来る前には飲料メーカーの営業所の、出荷を担当する部門の経験があるということだった。
 
 「あー、ま、確かに少し微妙」
 「ですよね」
 「でもじゃあ、伝票とかそう言う感じのことは、大体分かる?」
 「いや、聞いてみないことには……」
 和哉はそういうものの、その手の経験があると言うのなら、そんなに全くの素人というわけでもないな、と煌乃は少しほっとした。

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