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3. 無敵のアドニス

 2.
 
 結局あれやこれやの買物を済ませ、司の部屋に戻ったときには、もう四時になろうかという頃だった。
 「かなりの量になりましたねー」
 後部座席の荷物を見ながら、司が言う。司には大分の出費になったはずだ。
 卒業祝いというか入学祝いというか、そういうものも兼ねて、いくらかは出してやろうと思っていたのだが、司はすでに貰ったからと言って、かたくなにその大半を断った。
 あげたといってもバレンタインのあれは、とても卒業祝いとして成立しているとは言い難いし、入学に関して言えば何もしていない(結局昼食だけおごった)のだから、もう少し頼ればいいのにと思うのだが、司は司でそれなりに思うところがあるらしく、私の財布はほとんど開けられることはなかった。
 
 「これをまた、片付けないといけないからな」
 「そうですね」
 車から降ろす。司の部屋まで運び込むのに私は二往復、司は三往復した。
 司はそれでも疲れも見せず、手際よくあれやこれや、片づけていく。私も手伝おうかと思ったのだが、中途半端に手伝って司の邪魔になったり、分からないところに片付けてしまってもいけないなと思ったら、結局そのほとんどをぼーっと見ていただけだった。
 夕食の支度に入っても、相変わらず司はてきぱきと動いている。
 「……普通に、出来るんじゃないか?」
 「ま、そりゃ家庭科で習った程度のことなら……それに、一人暮らし決まってからは、家でも多少は手伝ってましたし」
 「教えることなんて、ないじゃないか」
 幾分か不機嫌にそう言うと、司が笑った。
 「だって、朝のあれは、センセーが……」
 「え、あ、そうか」
 アレはなんというか、売り言葉に買い言葉というか、私を引き止めるための苦肉の策というか、……だな。
 
 「まぁいいや。じゃぁお手並み拝見といくか」
 そう言って、台所から部屋へと戻る。
 「え、手伝ってくれないんですか?」
 「だって何もする必要なんてないじゃないか」
 「でも」
 「おまけに狭いだろう? そこに二人は、普通に考えて、狭い」
 一人がやっとの台所だ。最低限の手伝いくらいはしようかと思わないでもなかったが、かえって邪魔になりそうな雰囲気だった。
 
 ミートソースときのこのパスタと、二種類を少しずつ作ることにしていた。それとサラダ。難しいという程のものは何もない。結局最低限の下ごしらえをして、ミートソースを煮込むだけの状態にして、司は部屋へと戻ってきた。
 その間およそ三十分ほど。もうまったくもって、何も申し分のない手際だった。
 「おっかしーなー」
 眉間にしわを寄せ、司が私の隣へと腰を下ろす。小さなガラステーブルの前にクッションだけある部屋は、まだまだ広いのに、やけに近づかれて、少しドキドキした。
 「何がだ?」
 「今日はセンセーの手料理をごちそうになるつもりだったのに」
 思わずぷっと噴出した。
 「そうか?」
 まぁ自分で言い出したことだからな。仕方あるまい。
 「センセーの手料理で、ラブラブな夜になるはずなのに……何か違う気がする」
 「ま、何事もなかなか期待通りにはならないものさ」
 紋切り口調で断定すると、司は不服そうに口を尖らせた。
 
 とは言え。
 「じゃぁ、明日の朝は作ってやろう」
 すねるような、ねだるような視線に負けて、思わずそう口にする。
 「ホント?」
 「簡単にな」
 「じゃ、センセーが俺を起こしてくれる?」
 「約束は出来ないが努力しよう」
 「やった!」
 ……何を期待してるんだ。おおよそ想像はつくけれど。無邪気に喜んでいる司がかわいくて、思わず手を伸ばす。
 「え」
 珍しく司が戸惑ったような表情を見せた。
 「なんだ」
 「いえ、その」
 そのまま頬を撫で、額に口づけた。司の頬がわずかに紅潮し、困ったような顔に見える。
 「ん?」
 思わず顔を覗きこんだ。
 「センセーがやさしい」
 よりにもよって、それか。
 
 「いやか?」
 「そんなわけ、ないでしょう?」
 司がそう言った瞬間、目の前に天井が広がった。もちろん、押し倒されてのことだ。
 「センセー、いっつも怒ったみたいな顔してたけど……」
 「当たり前だろう? 今までの場所を考えろ、場所を」
 「ちょっと今、感動した」
 司の言い方に、思わず声を立てて笑った。
 「ここでは、何も遠慮しなくていいからな」
 「うん」
 司が私の髪を掻きあげる。唇が降りてくる。
 「俺だけじゃなかったんだ」
 「?」
 「誰にも何にも遠慮しなくていい、我慢しなくていいところで、センセーを抱きしめたかった」
 その言葉に頬が緩んだ。
 「まったく同感だ」
 司の腕が、ぎゅっと私を抱きしめる。だがその時。まったく意に反して、私のおなかがぐうっと鳴った。
 「……聞こえたか?」
 「聞こえた。先に食事にします?」
 「そうだな、司に集中できないのはいやだからな」
 「なんかその言い方、エロい」」
 「だが事実だ」
 司が私を抱き起こす。そしてその時、司のお腹もまた同じように鳴ったのを私は聞き逃さなかった。
 

 夕食の首尾は上々だった。瞬く間にたいらげて、テーブルの上にはきれいに空になった器が並ぶ。
 普通ならお茶でもコーヒーでも、と言いたいところだったが、夕食前の昂ぶりが中途半端に消化されないままでいて、二人ともどうにも落ち着かなかった。
 結局ここでも、我慢できなかったのは私の方だった。
 「風呂、借りるぞ」
 どれだけ堪え性がないんだ、と我ながら呆れてしまう。
 「あ、タオル」
 「分かるから、いい。電気落として、待っておけ」
 顔を見られるのが恥かしくて、逃げるように風呂へと向かった。狭い脱衣空間で、それでもドキドキしながら服を脱いだ。
 壁一枚向こうに、司がいる、ということ。そしておそらくは司もあれこれ想像しているであろうことを想像すると、どうしようもなく欲情した。
 
 こざっぱりと汗だけ流すくらいの勢いで、風呂から出る。言ったとおりに、部屋の明かりはかなり落とされていて、司のシルエットがかろうじて分かるくらいだった。
 タオル一枚巻いただけの私の姿に、司が息を呑む気配が感じられた。
 「ほら、行って来い」
 顎で示す。司が立ち上がる。確認するかのように、私の二の腕に手を掛けた。
 「? ほら」
 「寒かったら、エアコンつけておいてくださいね?」
 「そんなに待たせる気か」
 「っ……!」
 くるりときびすを返すように、風呂へと向き直った。そのまま、無言で扉の向こうへと消えた。
 
 ほんのわずか……五分程度。それでも待つ身には、やけに長く感じられる。
 静かで暗い室内で、ただ、風呂から聞こえてくる音に耳を澄ませるかのように、時間を費やした。
 「センセー?」
 司が出てくる。タオルを巻いた、半裸の体。そう言えば、すでに「やることはやっている」というのに、司の体を見るのは初めてなのだと、改めて思った。汗か、湯か、少しばかり光る司の肌。
 「ごめん」
 「え」
 一瞬の謝罪に、思わず思考がとまる。一瞬、ではあったのだが、それでもその言葉にだだだっとよくない想像が駆け巡った。
 「つい……頭洗っちゃった」
 思わず安堵とおかしさに、噴きだしてしまった。
 「センセーの格好見て、洗わない方がいいよなーって思いながら入ったのに、つい水かけちゃった」
 
 どうでもいいことだった。でも、そんなことを気にする司が愛おしくてたまらない。
 くすくすと笑いながら手を引く。司が幾分戸惑っている感じがあった。
 「しょうがないなぁ、もう。じゃあ、拭いてやろう」
 「え」
 抱き寄せる。頭を胸元へと近づける。司の首にかかっていたスポーツタオルを取り、うなじからこめかみ、頭頂へと指を動かした。
 私が笑っている気配に同調したのか、あるいはくすぐったかったのか。司もくすくすと笑っている。その振動を感じながら、私はとても満ち足りた気分だった。
 
 「こういうのも、いいね」
 司が腕の中でわずかに呟いた。
 「そうだな」
 その言葉が合図のように、私は司の頭からタオルを取り、顔を上げさせた。
 口づける。不安定な姿勢が耐え切れなくなって、司がそのまま私を押し倒した。仄暗いとは言っても、目が慣れてくれば、お互いの顔や体は良く見える。タオルを取り去られた時、恥ずかしくて思わず手で体を隠した。
 「見せて」
 「見せたいほどのものじゃ、ないんだ」
 「そういうものじゃ、ないから」
 苦笑交じりの司の言葉。頭で分かっていることと、心で恥ずかしいと感じることは別だというのに、司は頓着せず、私の体を見下ろす。
 
 「すげー」
 ポツリとそれだけこぼれた司の言葉に、羞恥をあおられる。だが、まるで宝物でも扱われるかのように、その感触を確かめるかのようにゆっくりと愛撫され、それ以上何を言うことも出来なかった。
 手のひらだけでなく、腕全体で、あるいは……もう、体全体と言ってもいいくらいの、濃密な肌の接触。
 「前言撤回」
 「え?」
 「スリリングじゃなくていいから、こっちの方がいい」
 一瞬何を言っているのか分からなかった。そしてそれが卒業式の日の話だと気付く。
 「私もこっちの方がいいな」
 ゆっくりと司の背中を撫でた。もちろん「そういう意思を持って」だ。小さくんっ、と声を上げ、幾分恨みがましい目で私を見下ろす。
 「お互いが気持ちよくなくちゃ、しょうがないだろう?」
 「そうだけど」
 
 今までの一方的なセックスはそれはそれで仕方ない。だが、私だって、それを是としてきたわけではないのだ。
 「お前は気付いていないのかもしれないが、私だって司に飢えていたんだ」
 言いながら赤面した。司もいくらか赤面している気がする。考えようによっては大胆な告白だ。そんな心中を悟らせないように、司の胸先を唇に含んだ。
 司の腰から下がふるふるっと揺れて、司の快感を伝えてくる。私は手を伸ばして、司の太ももをなで上げ、さらに唇での刺激を強くした。
 
 「一晩中、かわいがってやる」
 私がそういうと、司はどうしようもなく情けない顔をした。
 「なんだ?」
 「……それ、俺のセリフなのに」
 「早い者勝ちだ」
 「……」
 しばらく絶句した後、いいんですけどね、と小さく呟いた。その言葉を耳に捕らえて、私は心置きなく愛撫を再開したのだった。
 

 翌朝。私は違和感と強烈な体を開かれる感覚に、目を覚ました。
 「んぁっ、んん、あ、え……?」
 寝巻き替わりに借りた、司のTシャツ一枚の私の上に、司がのしかかっていた。
 「や、ん、バカっ、何……」
 抵抗を試みるが、唇をふさがれ、口内をまさぐられ、その先は言葉にならなかった。
 しっかりと私自身が司を受け入れているところを見ると、おそらくは寝ている間にすでに相当あれやこれや、されたものと思われた。
 「うん、あっ、あぁん」
 激しく突き上げられ、揺さぶられ、あっという間に体が言うことを聞かなくなり、そしてやがて絶頂を迎えた。
 「や、やだ……っん、司ぁっ」
 しがみつく。一晩ですっかり慣れたその肌に、それでも最後の意地で、爪を立てた。
 
 「何、するんだ」
 やっとの思いで整えた呼吸の合間に、司に尋ねる。
 「仕返し」
 「……」
 「昨夜、あんなに『やめて』って言ったのに、結局最後まで、俺やられっぱなしだった……」
 すねた口調で言う。
 「おまけに朝、作ってくれる、起こしてくれるって言ったのに、ぜんぜん起きないし……」
 司の言葉に枕元を見上げた。時計はすでに十時を回っていた。
 しかも。気のせいでなければ、テーブルの上には、すでに食事の用意が……整って、いる?
 
 「あ、あはは……」
 「笑ってごまかそうとしてもダメ」
 「いや、その」
 「俺が先に起きたのはしょうがないよ。でも、メシ作ってても起きない、いたずらしても起きない。じゃぁもう、やっちゃえってなるじゃん」
 えー、それはその……
 「ゴメン。すまなかった」
 
 この瞬間。二人の関係は、きっぱりと出来上がってしまったことを痛感した私だった。
 
 ――――― Fin.

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