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2.教師はピンクの夢を見る

 1.

 司と歩いていた。
 春の日差しは、もう大分明るい。左右には雑木林。冬の間に乾ききった枯葉が、時折歩道に舞い降りて、足の下でかさかさと音を立てた。
 のんびりと二人、連れ添って歩いた。歩くにつれ、だんだんと二人の距離が縮まる。私達はやがて声もなく、木立の奥へと入って行った。

 司の様子が一変したのは、辺りに人影が全く見えなくなり、人工的な建物をもはるか遠くになった頃の事だった。
 「センセー」
 小さく司がつぶやいた。その瞬間、抱きすくめられた。辺りを一瞬気にしたものの、司の力は強く、私はそのまま動けなくなった。
 まるでむしゃぶりつくかのように、司は私の唇を割り、舌を絡めてくる。
 「んっ、な、に……」
 押しのけようとしても、司の力は強い。そうしている間にも、司の指は私の足を割り、中へと侵入を試みてくる。
 「やだ、やめろっ……!」
 どうしてこんなところで、と思う。突然豹変されても、心の準備と言うものがついていかない。
 司は私の声など、まるで耳に入っていないかのようだった。そのまま、地面へと引き倒された。
 「いつまで、我慢すりゃ、いいんだよっ」
 その声は、悲痛ともいえる口調だった。
 
 「そんな……っあ」
 下着を剥ぎ取られ、司の頭が、私の足の付け根を狙う。陽射しの下で、あられもなくさらけ出されて私は声にならない悲鳴を上げた。
 けれど、そんな私の意志などお構いなく、司は私に覆いかぶさってきた。こんな状況なのに、やすやすと私は司を受け入れる。どうして、という心の声。
 「やだ、司ぁっ」
 司を押しとどめようと、司にしがみついた。けれど、司は容赦なかった。土のにおい、冷たい感触とそして司の存在感。
 体がびくびくと痙攣した。目の前が白くなる。体の奥で、何かがはじけた。
 
 ちょっと待て。心の中で、何かが叫ぶ。
 ここは……どこだ?
 

 「ばかやろう」
 思わず言葉がこぼれた。誰に、というわけでもない。強いて言うならば、自分に、だろうか。
 こんなにはっきりしていて、臨場感溢れる淫夢を見たのは初めてだった。自分の欲求不満をさらけ出されたようで、一人気恥ずかしくベッドから抜け出した。
 夢の中の司の「いつまで我慢すりゃいいんだ」と言う言葉が、いつまでも耳に残り、消えようとしない。
 いつまで、か。
 今日までだよ、と突っ込んで、正確にはもう少し先だな、と自答する。今日は卒業式だ。一つの節目ではあるものの、高校生と言う立場でなくなるのは、もう少し先のことだ。
 
 「本当に、いつまで我慢すりゃいいんだろうなぁ」
 心の中で、先ほどの司に話しかけてしまう。というよりも、多分さっきの司は私だ。私の心の中の偽らざる本音が、あんな風に夢になって噴出してきたのだと思う。
 卒業したとしても、大学生になったとしても、司が教え子だったことはどうやっても消えない。立場や年齢が逆転するわけでもない。そうである限り、コトが露呈したときに責任ある立場なのが私の方なのは間違いなかった。
 
 本当は今すぐにでも司を奪いたい。夢の中で司がしたように、司の身も心もむさぼるように欲しがりたい。けれど、今の私にはそれをする勇気も根性もなかった。
 本当に、いつまで我慢すればいいのだろう。門出の日だと言うのに、どうにも後ろ向きになってしまう思考は、止まる気配はなかった。
 

 司が一輪の花を持って化学準備室にやって来たのは二時を回ってからのことだった。
 「おかえり」
 幾分かの嫌みも込めてそう言った。
 とは言え、自分で言っておきながら、そのセリフにがっくりと来たのも多分私の方だっただろう。おかえり、などと言ったことは今までに一度もなかった。自分自身の冷たさを、改めて痛感した一言でもあった。

 司は私のそんな様子は全く意に介さない風に、中へと入ってくる。ここで司に会うのはバレンタイン以来初めてのことで、それを思い出すと、やはり冷静ではいられない。それどころか、あれは夢だったのではないだろうかとか、司の気の迷いではなかったかという思いまで過って来て、どうしようもなく、そわそわして来る。
 「今日は、コーヒーはないの?」
という司の言葉に、はっと我に返った。
 「コーヒーはないが、花がある」
 「花?」
 司が怪訝そうな顔をした。
 「それ」
 机の上の花束を指さした。普通は部活の後輩などが用意するものだが、司にはそういう存在はいない。
 顧問としての最後の仕事のつもりだった。

 「これ!?」
 素っ頓狂な声を上げた。
 「センセーが貰ったのかと思ってた」
 「教師がもらってどうする」
 「いや、そうだけど……」
 司の当惑も無理はない。そこには一抱えもある真っ赤なバラの花束が置かれていたのだから。
 「一回やってみたかったんだ」
 そう言うと、司は大きくため息をついた。
 「センセー、もしかして俺で遊んでない?」
 「失礼な。私なりの誠意だ」
 遊んでいる、というわけではない。やってみたかったのも、司にやってやりたかったのも事実だ。それにただ司で遊ぶにしては、金をかけすぎというものだろう。
 
 「ま、いいけどさ」
 ぽすん、と来客用のソファに腰を下ろした。
 私がコーヒーを入れるのを待って、だまって見上げている司は、どうにもこうにも、まったく以前の司と変わらず、それがかえって私を戸惑わせた。
 「卒業式は、泣いたか?」
 「泣きませんよ」
 「そうか」
 場が、持たない。それでも司の視線は、ただ、私へと注がれていて、けれどそれには気付かない振りをした。
 
 「俺も、用意すれば良かったな」
 「何をだ?」
 「花」
 「どうするんだ?」
 「センセーにあげる。これだけじゃ、サマにならない」
 卒業式で配られる一輪の花。
 「センセーから貰ったものを、センセーにあげるわけにもいかないしね」
 「なんだ、いらなかったか?」
 「そういうわけじゃないけど……いざ目の前に見ると、あぁ、こういうのを用意すればよかったんだって」
 「卒業生が花を持って登校したら、それは絶対おかしいだろう?」
 「え、あぁ、そうか。じゃ、仕方ないな」
 「あきらめろ」
 思わず笑った。
 「気持ちだけ、貰っておくさ」
 かたん、とマグカップを司の前に置く。その手を掴まれた。来た。
 
 「なんだ?」
 「なんでさっきから、微妙に視線を合わせてくれないの?」
 「お前がじっとこっちを見るから、居心地が悪いんだ」
 「俺のせい?」
 「あぁ、お前のせいだ」
 そんな目で見つめられていれば、否が応でも、今朝の淫夢を思い起こさせる。が、まさかそんな理由だとは言えるはずもなく。
 ぐっと強い力で引っ張られる。仕方なく、そばへと寄った。
 「センセーは、俺のことずっと見てたのに?」
 低く、囁くような声。
 うっと思わず息が止まった。
 「な、な、なんのことだ?」
 「俺のこと、見てたよね、隣で寝てるとき」
 「さ、さぁ?」
 明らかに狼狽している私を、司はまるで楽しんでいるようだった。
 「いいじゃん、今さら隠さなくても」
 「……」
 さらにぐっと引き寄せられる。
 「だから俺、少々強引でもいけるかな、って自信が持てたんだし」
 耳元で、司がささやく。唇と吐息が明らかにそういう意思を持って、私の耳に触れた。

 「お前、ここはな、そういうことをする所じゃ、ないんだぞ」
 「そういうことって?」
 まるで、私の反応は分かっていたみたいに司は答えた。
 「だって、この前はしたじゃん」
 「誰が来るか、分からないんだぞ」
 「だったら、カギ、しめてよ」
 「そういう問題じゃない」
 カギを閉めたって、それこそ今日は誰が来るか分からないのだ。いなければ、探されるだろう。
 「俺、うまく閉められないから、センセーしめて?」
 司が言った。その言葉に、赤面した。
 そうなのだ。この前のバレンタインの時、鍵は締まっていなかったのだ。司は締めたつもりでいたらしいのだが、いざこの部屋を出ようとして、かかっていなかったことに気付いたのだ。まぁ、つっかい棒があったから、そう簡単には開かなかっただろうけれど。
 「鍵を閉めればいいわけじゃないと言っているだろう?」
 私の言葉に司は幾分か不機嫌そうに
 「じゃぁ、どうしたらいいんだよ」
 と答えた。

 どうしたらいいんだよ、と言われても。
 困惑している私を見て、司は言い放った。
 「カギ、閉めるの? 閉めないの?」
 司の手が私を捕まえるように抱きとめる。
 「閉めた方がいいと思うけど。センセー、閉めて?」
 また、やられた。
 さっきまでするかしないかの話だったはずなのに、閉めるか閉めないかの話にすり替えられたあげく、最終おねだり目線でささやかれた日にはもう、降参するしかない。
 私はそのまま、するりと手を振りほどき、戸口へと向かった。
 
 「このまま、逃げてもいいか?」
 そんなことは出来るわけもなかった。それでも、何かが私にそう思わせたのだ。今ならまだ、気の迷いということで逃げられるかもしれないという思い。傷つけられずに、あいまいに終わらせてしまうことが出来るかもしれないという逃げ。
 「え」
 一瞬司の視線が私の顔を見て、止まった。
 そして少し諦めたような、あるいは寂しそうな顔をして
 「いいよ」
 と言った。
 「待つから」
 司は言った。
 
 逃げられるわけもなかった。
 司の言葉を聞いて、私は覚悟を決めた。いや、あきらめた。黙って鍵を閉める。まかり間違っても誰かに開けられたりしないように。そして、あの日司がやったように、箒のつっかい棒をはめて、私は部屋の電灯を落とし、司の元へと戻った。
 

 私が司の元に戻っても、しばらく司は動かなかった。薄暗くなってしまった部屋の中で、おそらくしばらくの間、私たちは黙っていた。
 我慢が出来なかったのは、私の方だった。司の腕をつかむ。
 「あのな、ここはこういうことをするための場所じゃないんだ」
 それでもまだ、私の口からはそういう言葉しか出なかった。なのにまだ、司は私をただ見て、そしてゆっくりと手を伸ばす。
 「そうですよね」
 「だったら」
 だったら? 自問する。鍵を閉めたのは誰だ。今、手を伸ばしたのはどっちだ。
 
 「ここで仕事をするたびに、こんなことを……司のことを思い出したら、どうする。仕事にならないだろうが」
 八つ当たりともいえる言葉だった。紛れもなく司を欲しいと思っている今の自分を素直に出せない言葉に、我ながら苛立った。
 だが、司は私の想像を超えることを言った。
 「だから、ですよ」
 「え?」
 「どっちにしても、しばらくはセンセーの世界に俺はいなくなる。その間、少しでも思い出して欲しいし……俺がここに出入りしていても不自然じゃないのは、今日まで、だから」
 「今日、まで」
 
 バカみたいに、司の言葉を復唱した。
 頭では理解できていたのに、それでもその言葉は心にずしりと響いた。
 「いつまでも、とは言いませんから……ここに帰ってきた時くらいは、俺のことを少しは思い出してくれるかな、って」
 いじらしい、としか言えない言葉だった。けれど。
 「そして、やがて思い出さなくなったらどうする」
 司の言葉の裏側に、私が忘れる、すなわち司も忘れる、という可能性が隠されていることを感じて、思わず私はそう口にした。
 「ここだけじゃなくて、大学生の俺をちゃんと見てはくれないんですか」
 ほっとした。
 「大学生って言うよりも、教え子じゃない俺のことを、思い出せるように、それはこれから作るけど」
 
 その言葉は、私の不安を見抜いているかのようだった。教え子であるということへの私の自制。そして何よりも、司が私を好きだと思っているのは、単に「手に入らないものへの」「禁断の関係への」憧れのようなものではないかという、懐疑心。
 「とりあえずは、高校生の俺でいいから、時には思い出してくださいよ」
 高校生の俺でいいから。その言い回しに、司もひょっとして同じ不安を抱えているんじゃないかとそんなことを思った。
 少なくとも、司は私と継続的関係を結ぼうとしてくれている。それは間違いないと感じ取れた。
 それがどんな関係になるのかは分からないけれど、それでも、手探りでも私と関係をつなげて行きたいと思っていてくれていることだけは分かった。だったら信じることが出来る、そう思う。
 
 「そうだな」
 私は、それ以上何も言わずに司の首に腕をまわした。唇を探り当てるように押し当てて、しがみつく。司はほっとしたように薄く笑って、そのまま私を抱きしめ返した。

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