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3. 眠り王子 がんばる

 3.

 卒業してからだ、と言ったにもかかわらず、司が私を訪ねて来たのは、卒業式にはまだ、半月以上も早い、それも、よりにもよって、バレンタインデーのことだった。

 「何しに来たんだ」
 「あー、今日、バレンタインだし」
 「悪いが、用意してないぞ?」
 「期待もしてないから、大丈夫です」
 「そうか」
 自由登校なのだ。よりにもよって、今日来るということは、そういうことかと思ったのだが。
 「俺が持って来ましたから」
 「は?」
 「チョコレート」
 「は?」
 バカみたいに問い返した。
 「バレンタインが女の人からっていうのって、日本だけ、らしいですね。さすがにそろそろヒマだったし、センセーには大分お世話になったし、俺から持ってくるのもいいかな、と思って」
 そう言った司の手には、まごうことなきバレンタインチョコレートが握られていた。
 
 「そうか」
 一瞬、単なるおすそ分けかと思った。しかし、わざわざ学校までおすそ分けにくる、というのはどうかな、と思ったし、たとえそうだとしても、「わざわざ」来たのには間違いない。
 「じゃ、コーヒーでも淹れようか」
 戸口で突っ立ったままの司にそう言った。
 「はい」
 準備室の中に入ってきた司は、懐かしそうに目を細めた。
 「ここも、もう終わりなんですよねぇ」
 「そんなことを思うほど、頻繁に来ていたわけでもなかろうに」
 「そりゃそうですけど」
 肩をすくめる。
 「それでも、隣と併せて三年、ですからね」
 「ま、そうだな」
 
 最初の一年は、多分ほとんど普通の高校生の部活と変わらないものだっただろう。同級生がいない、ということを除いては。
 そして二年、自分ひとりになって、この生徒は何を考えていたのだろうと、そんなことを思う。そして三年。考えてみれば、司は私と二人三脚で化学部生活を過ごした期間の方が長いのだと、そんなことに思い当たった。それを思えば、司が感慨深い顔をしているというのも納得できるというものだ。
 「いい思い出になっているといいんだが」
 思わず呟いてしまう。言ってから、しまったと思った。この状況で「よくない思い出」とは、とても言えるものではないだろう。まるで「良かっただろう」と強制をしているような言葉だったことに気付いて、一人焦った。
 「そうですね」
 司の言葉は、どこか上の空で、それはおそらくは司の中の思い出を探しているのだと思えた。
 
 「今は毎日何をしてるんだ?」
 「うーん、特に何って言うこともないですね。強いて言えば本読んだり――しばらくゆっくり読めてなかったので。他には、引っ越しの準備とか」
 「引っ越し?」
 司の合格した大学は地元だ。引っ越しの必要があるのだろうか。
 「教養は、キャンパスが離れてるんで、最初は遠いんですよ。通おうと思えば通えるけど、まぁ、少しぐらいは一人暮らしをしてみるのもありかなと思って」
 「ふうん」
 
 なんともなしに聞いて、あぁ、司の大学生活はもう始まっているんだなぁとしみじみと思う。自分もつい最近まで学生だった気がするが、入学までさかのぼれば、すでに一昔前の話になってしまう。
 「考えて見れば、大学生活が一番楽しかったな。そうだな、一人暮らしも学生の時と社会人になってからでは全然違うしな、いいかも知れない」
 そう言うと、司は少し首をすくめた。
 「ま、そう簡単じゃないことぐらいは分かってるんですけど」
 「いや、お前なら大丈夫だろ」
 「そうですかね」
 口ではそう言いつつも、まんざらでもなさそうな顔をしている。そういう司の表情を見ながら、私はなんとなくほっとしていた。
 この調子なら、心穏やかに見送ってやれるんじゃないかと、そんなことを思った。
 
 だが、そんな穏やかな気持ちも、コーヒーの一杯目を飲み終わった頃にはがっつりと破られてしまった。
 「センセー、あれ、出来た?」
 「あれ?」
 唐突に司から切り出された言葉に、一瞬戸惑った。そしてそれが、卒業祝いの媚薬の件であることに気付いた。
 「卒業してから、と言っただろう?」
 眉間にしわを寄せ、いかめしく言い放った。
 「あ、まだなんだ」
 「そういうわけじゃないが」
 「いや、卒業してからでもいいっていうか、それは分かってるんですけど、どうかなーと思って」
 「そんなに待ち遠しいのか」
 「そりゃ、まぁ」
 一気に気分はどん底。いやまぁ、普通に考えればそうだろうけれどもさ。
 
 意地悪をしている、と思われるのもイヤだと思う。いや、事実したい気持ちがあるからこそ、私はそれを押し隠した。机の中から遮光瓶に入ったソレを取り出す。
 「あぁ、出来てたんですか」
 「この位は、別になんという程のことでもない」
 まさか市販品にちょちょいのぱっぱ、とは言えない。それでもなるべく恩着せがましくしたいと、悪あがきをする。
 「ちょっと一部の材料に苦労したがな」
 「イモリの黒焼きとかですか」
 「バカ言うな」
 司の冗談に笑った。
 
 「今日もらえるんですか?」
 「使うのは卒業してからだぞ」
 言うだけ無駄だろうと思いながら、それでも一応念を押す。教師の立場っつーものもあるからな。
 「使い方は?」
 「あぁ、セックスの時に、使えばいいんだよ」
 「……え?」
 「ローションタイプだからな。多分気持ちよくなれると思うぞ」
 と、そこまで言って、司の表情に気付く。
 「どうした?」
 「せ、せ、……セックスって……」
 見る見る顔が赤くなる。
 「なんだ、お前が一発でメロメロに、っていったんだろう? これで一発ヤレばそれでOKだ。確かめてはいないけどな」
 「い、い、い……いっぱつ……」
 司の顔はますます赤くなっていく。っていうか唇、震えてないか?
 と、そこまで気付いて、ふと思った。
 
 「すまん、もしかして何か根本的に間違ってたか?」
 司には、私の言葉はあまり耳に入っていないようだった。
 「こ、このエロ教師がっ!」
 がたん、と立ち上がる。
 エロ教師、というのは……普段投げつけられたことのない言葉、そして司らしからぬ言い方に、思わず思考が止まる。エロ教師っていうのは、多分、誉められた言葉ではないんであって、というよりもむしろ非難の言葉であって、いや、でも最初にそういうことを持ち出したのは司の方だし、あぁ、いや今の流れで行くと、私の方にも何か勘違いがあったということなのか? それにしたって、エロ教師はあんまりだろう。

 「セックスとか、一発とか、平気な顔して言ってんじゃねぇよっ!」
 立ち上がって、そう怒鳴ったかと思ったら、司はまっすぐ出入り口の方へと向かった。そのまま出て行くんだろうかと思ったら、……鍵? それからそばにある箒をつっかい棒にして、こちらへと戻ってきた。
 「何、してるんだ?」
 呆然と見ていた私のそばに、つかつかと寄ってくる。何が起こったのか、起こっているのか、司が何をしているのか理解できなくて、司を見上げた。
 「見てわからない? 鍵、かけた」
 「あぁ、そうだな」
 間の抜けた返事だとは思いつつ、そう答えた。
 「意味、ないんだが」
 外から鍵を掛けて閉じ込めるというのは、まだ分かる。だが、鍵は内側から開くのだし、司もここにいるのだし……おまけに……
 
 「意味ないってどういうことだよ」
 口調が怒っているような気がする。というよりも、今これはどういう状況なんだろう。
 「いや、その」
 司の迫力に、思わずたじろぐ。思わずあとずさったら、司が薄く笑った。
 「センセー、わかってないの?」
 「え?」
 「今、二人きりなんだよ、ってこと」
 私の顔を見て、司は忌々しそうに眉をひそめた。何が司を怒らせたというのだろう。そうはいうものの、司とは言え、相手は男だ。それはそれで、多少身の危険を感じないでもない。
 私はちらりと机の脇に目を走らせた。まさかとは思うが、暴力でも振るわれた時には、いくら司でも、非常ボタンを押さないわけには行かないだろう。
 
 そう、非常ボタン。意味ない、と言ったのは、これがあるからだ。この準備室にはいわゆる劇薬の類が保管されている。夜にはセキュリティがかかるのはもちろん、日中に強盗的な目的でそれらを強奪されたりするのを防ぐために、非常ボタンが付いている。これを押せば、おそらくは数分で警備会社が駆けつけるはずだ。
 ただ、そんなことをすれば、司の将来はまちがいなく狂うし、なるべくならそんな状態には陥りたくも陥らせたくもない。
 「お、おちつけ、な?」
 「落ち着いてられるかっ!」
 司の手が、伸びてきて、私の白衣の襟元つかんだ。ぐいっと引き寄せられる。
 殴られる! そう思って首を縮めた、その瞬間。私は司に抱きしめられていた。
 
 え? 思考が再び停止して、そして動き出す。なけなしの、私の優秀な頭脳は、状況を判断するのにいっぱいいっぱいで、平たく言えばパニック状態だった。
 これは、えっと……と思った瞬間、司の唇が、私の首筋に触れたのが分かった。さすがにここまできて、まったく何の見当もつかないというわけはない。だがその一方で、あまりにもその想像は自己中心的な気がして、素直に認められるものではなかった。
 「センセー? 少しは焦るとか、抵抗するとか、すれば? 貞操の危機なんだよ? それともまさか、こんなこと初めてで、何が起こってるか、まったくわかっていないとか? 勉強のしすぎ?」
 「え、あ、いや、むしろ逆」
 口にして、我ながらなんていうことを言うんだと思った。というよりも、ヤバイ、私も逆上しそうだ。
 
 頭では、ここは抵抗すべきだろうと、もちろん分かっている。教師としても、あるいは一人の女性としても、この状況で、はいそうですか、というのは何がなんでも、まずい。もちろん非常ベルを押したところで、……いやむしろ、その方が正常な反応というものだろう。
 だが、相手は司なのだ。とても口には出来ないが、おかずにしたことすらある相手なのだ。こら待て私。流されてどうする。いや、流されるというよりはむしろ積極的に、いやいや、あぁ、……あぁ、ダメだ。
 この状況で抵抗して、そのまま司との仲が終わってしまったらどうする、とちらりと考えた瞬間、私の理性があっけなく崩落したのが分かった。
 
 「センセー?」
 首筋に顔を埋めたまま、司が私を見上げる。
 思わず私はくくっと笑ってしまった。
 「司?」
 自分でも驚くくらい、優しい声だった。司を「司」と呼ぶのは久しぶりだった。部員が他にもいたときには普通に呼んでいたのだが、司と二人になってからは、変な勘繰りを防ぐため、なるべく苗字で呼ぶようにしていた。
 その声に、司は一瞬驚いた顔をしたけれど、それでも離れようとはしなかった。
 「降参」
 「え?」
 
 「頭では、ダメだと分かっているけど、抵抗なんて出来ない。好きにしていいよ」
 ごくりと司の喉が鳴った。
 「それって」
 いや、むしろ私の方がいただきます、という感じなのだが、それは言葉にはならなかった。
 司の指が私の頬に触れた。その瞬間、唇を塞がれる。舌が入ってくる。その甘さに腰が抜けそうだった。強く腰に回された手に力が入る。司の昂ぶりが押し付けられて、切なそうに鼻から抜ける息が荒くなるのが分かった。
 「本当に?」
 私が抵抗をせず、むしろ体を預けたのに反応して、司が私に尋ねた。私はそれには答えず、ただ、司の背中へと手を回した。
 
 そのまま、しばらく舌を絡めあった。司の右手が私の白衣と、その下に来ているシャツのボタンをはずす。寒い日ではあったが、そんなに厚着はしておらず、やがて司の指先が私の胸にたどり着く。
 その冷たさに、一瞬震えた。
 「立ってる」
 先を撫でたり、つまんだりするその感触に、腰が震えるのが分かった。なんで、こんなに感じてるんだろう。
 なのに、そんな私に気付く風でもなく、司はゆっくりと私の前をはだけていく。ブラのホックをはずして、押し上げられ、胸がさらされる。
 「あぁっ」
 恥ずかしさに声がこぼれた。けれど司はただ
 「立っていて」
 と言っただけだった。
 
 唇が降りていく。胸先を含まれて、舌で弄ばれる。
 「っ、司……」
 「気持ちいい?」
 黙ってコクコクと頷いた。眼下の司の頭と、自分の胸とを見下ろす。恥ずかしいのに気持ちいい。視界には薬品棚などが目に入り、見慣れた準備室なのに、まったく別の空間のような気がした。
 「あっ」
 カクッと力が抜ける。司の肩にしがみついた。
 「センセー?」
 「だめ、かもしれない」
 「え?」
 私から誘っちゃだめだろう、と思った。でももう、立ってなんかいられない。
 
 机の上に座らせられる。片付けておいてよかったと、どうでもいいことを考えた。
 ぺちゃぺちゃと、舐めるように唇を吸われる。司の手が、下半身に伸びる。少しためらっている気配を感じた。
 「センセー?」
 「ん?」
 少し言いよどむ。
 「俺、初めてだから、ヘタクソかもしんない」
 まるで子供みたいな言い方に、思わず笑ってしまう。
 
 「そもそも司がテクニシャンだなんて期待もしていないから、気にしなくていい。というよりも、そっちの方が引く」
 「そっか」
 司も少し笑った。
 「それに、少なくとも今のところヘタクソなんてことはない」
 司の指先を捕まえる。さっきから、何度も近くを往復するのに、手を出してこなかった場所へと近づけた。
 「えっ?」
 「もう、こんなだ」
 下着越しにだって、充分に分かるだろう。
 「ほんとだ」
 「軽蔑するか?」
 「なんで?」
 「エロ教師だからな」
 さっきの司の言葉がふとよみがえった。でも、それは事実だ。わずかばかり胸が痛んだが、否定は出来ない。
 「軽蔑なんてしない。だって、こうしたの、俺でしょ?」
 一度触れると、たまらないように、何度もそこを指が往復する。私の返事を待たずに、司が私に深く口付けて、私を押し倒した。
 
 下着を抜き取られる。ただ、司の好きにさせようと思った。
 指がいくらかためらうように上部を往復した後、中へともぐりこんできた。
 「っ、あ……」
 恐る恐る、という感じで私の顔を見ながら、司が指を動かす。それはあまりにも緩やかで、焦らされているかのようだった。
 腰が浮く。司の指をもっと求めるかのように、揺らす。けれどそれは自分自身を辱める以上の効果はなかった。
 「ここで、いいんだよね?」
 指が増やされて、私は小さく悲鳴を上げた。
 「んんっ、……そこ、でいい。合ってる」
 欲しいとは言葉に出来なかった。けれど司は分かったみたいに、指を抜き、自身の昂ぶりを取り出した。
 軽く絶頂を迎えていた私は、司がゴムを付けるのを朦朧として眺めていた。何かが引っかかった気もしたが、もう考えられなかった。
 
 「ここ?」
 押し付けられる熱いもの。こくん、と頷く。
 「そう、そのまま……っあぁっ」
 体重を掛けて、司が私の中に侵入してくる。待ち焦がれていた存在を体の奥に感じて、高い悲鳴を上げた。
 「んんっ、司ぁっ」
 手を伸ばす。頭を抱きしめられて、唇を重ねられて、下半身を貫かれて、そのまま私の体はまるで痙攣するかのように絶頂を迎えた。
 恋する男の体を受け入れる、ということの幸せをかみ締める。
 「こう、なりたかった……」
 うわごとのように言葉が出た。司の体が大きく二度、三度とグラインドする。
 「センセー」
 司の言葉も小さかった。でも、私を呼んで、司も果てた。

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